満足度★★★★
珍しい題材
ギリシャの伝説の挿入によって、幕末のある名主の一家を中心に据えた物語が、不思議な光を放ち、扱いにくい題材を扱うのに成功していた。その題材とは「宗教」である。「神が下りた(憑依した)」とか、天啓によりある日突然「教祖」になるとか、科学主義から「危険」とレッテルを貼られそうな状況が展開していく。しかしその前段、被支配階級として嘗める辛酸・理不尽が描かれているため、宗教はそうした「状況」との関係で生まれた事も仄めかす事になる。「盗人は生きている」との台詞を最後に言わせているのを見れば作者の意図は明確に思える。
新しい宗教が「救済」の可能性を擁し、同時に体制批判もはらむことに、封建体制によって浸みこまされた自発的隷従の人々の目が気づく。その結果、宗教一家はついに村八分にされる。 「新たな宗教」が敗北に帰するのは、キリストの時代も同じであった(イエスは旧弊を糾して救済を行ったゆえ処刑された)。
一方社会(国家)に認知された宗教は徐々に飼いならされ、国家に取り込まれては教義じたいが国家の都合に左右される。 実は多くの「問題」は宗教そのものにでなく、それを扱う人間や社会のほうにあるのではないか・・。
この芝居は「宗教」について語っていると共に、いやそれ以上に、その発生を必然たらしめた世の矛盾や非道、理不尽を問題にしており、それは自然なことだろうと、ただそれを言いたいのだと思う。
それにしても嶽本氏の脚本は骨太で硬質な印象が強いが、Pカンパニーの役者は人々の「生活感」の中にしっかりと台詞を落とし込み、リアルかつ膨らみと色彩感のある舞台に仕上げていた。(そういえばPカンパニーは初観劇)
満足度★★★★
神は天に居まし 世は全て事も無し という感じでしょうか
世の救済を掲げる神様は小乗ではなく大乗での行動が主であり、
主人公家族は救われてはいないような気がします・・・。
四柱の立つ素舞台に近いセットで天保当たりの時代に即した衣装で、
リアルな市井の生活を垣間見せてくれてました。
しかし昔の人は何かって~と祈祷だ願掛けだと神頼みで、
情報とか知識ってのは貴重な宝だなぁと再認識(作品の趣旨とは異なる見かたですけど・・)した2時間10分の作品です
満足度★★★★
盗賊は今も、死んではいない
劇作家の嶽本あゆ美は、彼女の名作「太平洋食堂」の取材中からこの物語が生まれた、と言っている。ギリシャの伝説を日本の幕末の村に舞台設定し、そのメッセージを今に伝えた秀作だ。
彼女は「プロキュストは誰でしょう」と問い掛ける。それは時の政府であり、自らの隣人であるかもしれない。電車で隣り合わせた人が、プロキュストだったりする現代社会だ。そこまで空想が及ぶような舞台を演じた、Pカンパニーの力演もすばらしかった。子役の熱演も光った。
一幕ものであるが、この長い物語を一つの舞台の上に象徴的と言ってもよい寝台、まあ、単なる台なのであるけど、これを中央に配置した演出もとても印象的だった。劇作家の思いを、演出が心の底から理解し、演者が強烈なメッセージとして発信する。この流れが本当にうまくでている舞台だった。