満足度★★★★
時代から忘れられつつあるものを拾い集めるということ
戦中、戦後に民俗学に情熱を傾けた男達の物語り。
とても丁寧に作られている印象。
観ていて自分でもびっくりするくらい涙がとまりませんでした。
初演を見逃しているのが返す返すも残念。
キャストや演出等、諸々見比べたかったです。
夏に参加した「声に出して読むてがみ座」のテキストがこの作品だったので、
物語の背景や登場人物については
直接長田さんから解説していただいていました。
自分が声に出して読んだテキストがどんな風に舞台に現れるのか非常に楽しみだったのですが、
実際良い意味でのネタばれ状態での観劇で、
登場人物の心情や立ち位置がよく分かりました。
それはそれでよかったのですが、
白紙の状態で観たときに自分はどう思ったのかなと考えたりも。
全体的には、好きな事に邁進する男性より待つ身の女性に感情移入していたかもしれません。
満足度★★★★★
震えた
重厚な作品だった。世界の渦に抗いながらも飲み込まれて行く人たち。望む道を捨て、望まない道へと囚われて行く。人が羨む地位や名声であっても、自分の望みでなければ地獄だ。ましてそれを妻や家族が望んでいるならなおさら。俵木さんが哀愁たっぷりに好演された。その時々の時代で、欲望は常に渦巻いている。金、名誉、出世を…それが戦争へ。そんなものはしたくないと思っているのに 、ある者は兵士として、ある者は国家権力の中枢として「戦争の真ん中へ」意志に反して飲み込まれる。「僕が恐れる」と言う優しさが時代との軋みを生む。自由とは何だったのだろうか。妻という肩書きを捨てても、財閥令嬢という肩書きは捨てられない妻。「この生き方しか知りません。」という台詞に『細雪』で仙波の大店のプライドを捨てられない鶴子を思い出した。父と夫の狭間で苦しんだ後、二人に「いつか」は来たのだろうか。最も涙腺が崩壊したのは、川面千晶さん演じるかつらの健気さ。出生地差別により、愛しい人の戸籍を汚せないと考える姿が、底抜けの明るさ故に切なさを増す。「帰ってくんなアホー!」と夫を解放して義母と生きる、福田温子さんが演じた宮本常一の妻も、その愛の深さは同じだ。開戦に向かって突き進む日本を「列島が発酵する」と言わしめた長田育恵さんに脱帽。あの発酵は発光にも思えた。「日本人が死を恐れないのは、大切な人のところへ帰れると思うからだ」には目から鱗が落ちた気分だった。とにかく、俳優陣が素晴らしい。みんなそこに確かに生きていた。西山水木さんと今泉舞さんの女中二人、農夫の中村シユンさんが見事。ラストの混沌とした現代の中で天を仰ぐあの男の目には、希望が映っているだろうか。わたしが手にしている自由について、見つめ直そうと思う。思っていることを正直に言ったら喧嘩になることもある。ましてや「あんたが嫌い」でその理由をあけすけにぶつけたら尚更だ。なのに常一に向けた女中の言葉は、バッサリ切られグサリと刺さっているのに、何故か温かい。聞きながら不思議な気分だった。ある種のトリップだった。かつてダイナマイトがそうであったように、学問が幸福な未来にではなく、学者や研究者の意図に反して誰かの欲望に利用されようとするときの恐怖と焦燥に息苦しくなった。まるで津波のように押し寄せてくる悪意の言葉を耳にする渋沢の苦悶の表情が痛々しかった。戦争を感じた。
満足度★★★★
地を渡る舟 再演
第58回岸田國士戯曲賞・第17回鶴屋南北戯曲賞ノミネート作品。やはり素晴らしい戯曲。劇場がシアターウエストからシアターイーストに変わり、アンサンブルが一層活躍する演出になっていた。
満足度★★★★★
最終日観劇
側でみれば知の道楽のようなお屋敷でも、そこは研鑽を積む学舎でもあり家庭でもあり。農耕、風習、戦時下の正義、唇噛み締め大地を踏みしめて生きてく昭和の日本風土記のよう。身分や立場は違えど、みな市井の人々。戦争により失ったもの、奪われたものは人命以外にもたくさんあるが、女中の志野さんがお国言葉で漏らした本音に涙止まらず。世の中的に自分にとって無駄なモノは簡単に淘汰しようとする流れは誠に不憫な考えだと思ったりして。
澁澤の妻と宮沢の妻が相対する場面の毅然とした真摯さ、その澁澤妻の選択肢のない生粋の生き方、苦悩の日々を過ぎ、それを受け止めた澁澤の気持ちにも憂う。シンプルだけど印象に残る舞台セット。
いい舞台でした。
満足度★★★★★
何度観ても
初演が良く、中村シユンさん目当てで見ました。今回キャストを大幅に入れ替えてましたが、主演の2人を始め魅力ある方ばかりでとても見ごたえがありました。ほとんどの方が他の舞台で見たことある中で、今回初めて見た川面さんが印象に残りました。何度も胸を打つシーンがあり涙が溢れた。
teamworkは健在ですが
人物造形にふくらみが出て人間ドラマとしての幅が広がり戯曲がさらに深みを増しています。舞台そのものも極めて水準の高い作品であり、1945年から現在に滑らかに移行してゆく最後の場面はすばらしく、役者さん、裏方さんが舞台裏では大変ご苦労されていたと思います。
ただ、可動性の高い舞台装置とマンパワーを駆使した新演出は一つの試みとしては面白かったのですが試行錯誤的で(決して悪いことではないのですが)全体的にどうしてもバタバタした感じが目立ってしまい、初演の時に感じられた躍動感と鮮明なイメージを呼び起こす舞台の冴えがかなり影を潜めてしまったような印象をぬぐえませんでした。
また、制作の姿勢に疑問あり。
上演時間は約2時間半(10分の休憩あり)。
満足度★★★★★
人にはそれぞれの役割がある・・・。
そんな風に思いました。
渋澤敬三氏の庇護の元に民俗学に心血を注いだ宮本常一氏を中心に学者さんたち、彼らを取り巻く人々の1935年から1945年の怒涛の時代を描いた作品です。
時代の色合いや風合いを自然に感じ取れ、舞台セットを流動的に上手く使って演出はとても素晴らしかったです。
旅する宮本氏の目にするものが感じられたし、居心地のよい研究室がどんどんと時間の経過で雰囲気が変わっていくのが感じられ、外の空気の変化すら感じられました。
満足度★★★★★
また観たい。
宮本常一、という人物をご存知の方が、どれほどいるのだろうか。
今回の作品に触れるまで、その人を始め、取り巻く人々のおかげで、どれほどの貴重な「文化」が受け継がれて来たのか、知り得なかった事も含め、とにかく、長田サンの作品の着眼点には、ただただ敬服するばかりである。
「粗末なモノほど、消えてなくなる」
今回、特に響いた言葉だ。
話はそれるが、今回の作品を観ていると、3.11の時の事を思い出す。
あの時、日本中が暗い気持ちになった。
街からは明かりが消え、その年の多くの祭りも自粛ムード。
舞台に関しても、はたまた何の為?誰の為?という空気が漂っていた中で、それでも舞台に立ち続ける意味とは?
公演途中だった者、公演直前だった者も、誰しもその進退を真剣に考えた時期があったが、今、こうして舞台を観ていられるのも、あの時「そういった選択」がなされたからこそ、なのではないかと...。
休憩挟んでの2時間20分程の大作だったが、役者の小気味良いテンポと、地に足の着いたやり取りで、まったく飽きさせる事が無い。
初演を拝見していないので細かいキャスティングの違いは分かりかねるが、これはこれでベストではないだろうか。
人はそれぞれ、生まれもっての質がある。
人としての成長過程が際立つ役もあれば、変わらぬ.変われぬ役もあったり、結果、個性としてしっかり際立って見えてくる事で、より一層作品に深みを増している。パンフに「時の中の人々」とあるキャスト達の存在も、この作品には欠かせない。
抽象舞台にも関わらず、そこがしっかりとした世界を生み出すのは、やはり演出の扇田サンの手腕が光る所だろう。
彼の世界観に身を任せ、同じく時代の渦に巻き込まれながらの、あっという間の時間だった。
...余り細かく書くとネタバレになるので控えておくが、それほどまでに、観た者に多くを語らせたくなる作品だった。
満足度★★★★★
無題1633(15-322)
19:00の回(晴)。
18:30受付(指定席)、開場。S.E.雑踏、18:54(前説)、19:00セミの声~20:16、休憩、20:26~21:32終演。
「汽水域(2014/11@トラム)」以来約1年ぶり。今泉さんは休団により初演(2013/11@ウエスト)以来の本公演...もっとも今年の客演3作品は観ました。
キャスト、配役が代わったものの2年経ち、深く考える部分が増したように感じます。忘れ去られる日々の営み、すべてを飲み込み押しつぶしてしまう「闇」。
行き交う人々はなぜかみな先を急いでいるように見えます。時代の変化は速く、振り向いても、もう何も見えなくなっているのかもしれません。
西山さんは2016年TOKYOハンバーグで、松本さんはみそじん(横山さんが最初のメンバーでした..2014/10)で。