ナチュラル灰色パラダイス~デルタウロスの再会~ 公演情報 ナチュラル灰色パラダイス~デルタウロスの再会~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.5
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  • 満足度★★

    分かりませんでした
    正直、ストーリーが分かりませんでした。説明文にあるストーリーとは違うと思いましたが、感性的に感じてほしいという事なのかな・・?残念ながら、凡人な私には分かりませんでした。役者さん達の熱は伝わってきて、それは良かったです。

  • 満足度★★★

    りアルの欠如した世界、日本
     リアルな現実は愚かリアルな感覚にさえ出会うことを失った世界は、メタレヴェルを如何に措定し得るか? 

    ネタバレBOX

    と悲痛な声が聞こえてくるような作品である。それはそうだろう。彼らの育ってきた環境で彼らの実存に親和的なものといったら、TVであり、ステレオや様々な機器から流れてくる合成された「音楽」であり、ゲームや資本そのものを喧伝するテーマパークとやらせばかりの真っ白に無菌化された嘘社会そのものだから。そこに深みも陰影もあるはずもなく、命の影さえ無い。即ち、予め死の排除された世界なのである。従って本物の生もない。
     都会でも数十年前迄、例えば東急東横線で多摩川の鉄橋を渡る時、かなりの人は窓外の景色を眺めていた。天気の良い日には富士も見えるし、丹沢の山々も良く見える。ここ数年は鮎すら戻って来たくらいで、川鵜や白鷺、季節によって鴨も多く見掛ける。温かい時期には、亀が甲羅干しに上がってくる。こんな姿が車窓から見えるのである。だが、現在、窓外を見るのはいつも自分だけである。殆どの乗客は、携帯を覘き込み、己の狭い世界に纏わる情報を飽きもせずにループし続けている。これが、現在アメリカの実質的植民地、日本の偽らざる姿である。実際、現在日本で進行中のプロパガンダは、G.オーウェルの「1984年」を更に進化させたものだろう。1984年で描かれている世界は、著者からも主人公からも嫌悪の念を以て迎えられているが、現在、日本の愚衆は、喜んでそれを迎えているのみならず、チンケで閉鎖的で閉塞的な自らの存在基盤を「補強」する為のコンヴェルサシオンの道具とすら考えているのである。愚か極まりない!!
     今作は、この現状に対する若者達からのクレッションマークだと考える。
     だが、先に書いたような状況に育まれた彼らが、どんな羅針盤も持たずにこの難局を切り開いてゆくことは、困難だろう。少し、ヒントになるかもしれない表現者、或いはグループの名を挙げておくとしよう。ポーランドのヴィトカッツィー(前衛三羽烏の一人)と彼の後継者、タウデシュ・カントル、そしてイタリアの映画監督であったパゾリーニ。日本では京都の創作集団で20年程前に「S/N」を作ったダムタイプなどは創作の参考になるかも知れぬ。
     

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