満足度★★★★
意欲作
初演は、2005年フランスである。モリエール賞他数々の賞を受賞した作品であるがヨーロッパの親子関係と日本のそれとは大きな違いがあるので、その辺りを理解していないと分かり難い点が出てくるとは思う。
満足度★★★★
(私も…)のようになりたかった!
フランス人の性質と教育や家族の姿が浮き彫りになっていました。
日本人にはわかりにくくて当然!
個性的な芝居で淡々と芝居が進行するが、母親だけは別でした。
満足度★★★★★
濃密な舞台
すでに劇場内は薄暗い照明に照らされ、沈鬱な雰囲気が醸し出されている。そして、この照明がわずかな変化が、登場人物の人柄なり...その本質を描き出すような効果をあげる。
全体的には、それぞれの役者のセリフ...会話のようでもあり、独白のような抒情的な印象も受ける。その繋ぎが物語を展開して行く。動きで観せるというよりは、力強いセリフが最小限と思われる役者の動きを確かなものをイメージさせる。まさに心魂に響かせるセリフで観(魅)せるという公演であった。
満足度★★★★
いい舞台を観ました!
舞台美術や照明が美しい。母役の観世葉子さんの観客を物語世界に引き込む力がものすごくて恐ろしい、けれどとっても魅力的。音楽がまたすてきで物語と一つになって人の心の不安を煽るよう。五感すべてで楽しめる舞台。惜しむらくはシャンソンの歌い方が子供っぽすぎるかな。あれはわざとああいう演出なのかな。歌が下手っぽい感じが無垢な子供っぽさを表していたようにも感じられますが、そのわりに歌の比率が多いので、もうすこし聴かせることのできる歌い方だと尚楽しめたとおもいます。そこがすこし残念。
満足度★★★★
奥が深い
フランス文学を読んでいるような感じの作品。暗いし,エゴイスティックだし,分裂してるし,なんか個人の闇をいくつもの方向から照らしているようで,難解だし,観ていて楽しくはない。でもでも,これって多かれ少なかれどんな家庭にだってあることだよね。そう思って観ていくと,いろいろな答えが見えてきそうで,なんか面白くなってきた。
満足度★★★★★
「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」
先週の土曜日、上野ストアハウスに、AKATSUKIの菅原奈月さんが出演される、フランスの演出家ピエール・ノットの作・演出による舞台、「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」を観に行って参りました。
ある日突然、「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始めた長女ジュヌビエーヴとある出来事がきっかけで、部屋に引きこもり、家の地下室で居ない観客に向かい、キャバレーで母の歌っていたシャンソンを歌っていると思っている、リストカットを繰り返す次女マリー、無口だが部屋で拳銃を🔫ぶっぱなし、今は家を出て離れた場所で暮らす長男、自分達を棄てて出て行った夫と心に何らかの闇を抱えた子供たちに振り回され、心悩ましながらも、自分なりにそんな家族を愛してはいる母が繰り広げる家族の物語。
とまぁ、何とか整理してあらすじを記すとこうなるのだけれど、幕開けから、母以外の登場人物が全てが顔にも声にも一才表情を現さず、粛々と舞台が進んで行く。
序盤は、本当に難解に思える。この舞台は、何を言いたくて、何を言っているのか?あまりにシリアスで、わけが分からないのに、何故かどんどん引き込まれて観て行く内に、ヒリヒリした痛みや息苦しいようなそれぞれ心の闇を感じるのだけれど、母とジュヌヴィエーヴの会話に可笑しさが出て来て、じわじわと笑いの小波が起こり、面白くなってくる。
この、一見難解で戸惑いながらも引き込まれ、最後まで一気に見入ってしまう感覚は、20代の頃に観たジャンヌ・モローの映画「突然炎の如く」のそれととてもよく似ていた。
菅原奈月さんは、いつもAKATSUKIで観ている奈月さんとは全く違う、自分の体を切ることで、生きている事を確認しているようにも、ある種の罰を与えることで自分を許し赦されようとしているような、地下室をキャバレーと思い込み、見えない観客に向かい、シャンソンを歌っている時だけ、唯一生きている実感を感じられているのだろうマリーを、表情を消すことで、心の痛みや叫びの表情を感じさせた。
小林亜紀子さんのジュヌヴィエーヴは、ある日突然、「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始める、ある種の狂喜の中に居るように見えて、そう思うことで自分を保とうとしている、壊れそうな自分を必死に持ちこたえようとしているようにも見えてくる。
それは、自分達を棄てた父に対してか、もしかすると母の愛を欲するひとつの母への甘えなのか、自分のアイデンティティーを探しあぐねての事なのか。ジュヌヴィエーヴの姿を見ながら、様々に考えた。
観世葉子さんの母は、唯一最初から娘たちや出て行った夫に対しての苛立ちや腹立ちを表情に出し、感情を顕にする存在。引きこもり自傷行為を繰り返すマリーと「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始め、母を否定するかのような発言をするジュヌヴィエーヴに、戸惑い苛立ちながらも元の娘たちに戻って欲しいと渇望する母の孤独と母なりの愛情を観て行く内に感じさせる。
高橋和久さんの息子が、ある意味一番捉え処がない。なぜ、彼は家に居た時、家の中で拳銃を打ちまくったのか?父の血が自分の中に流れている事への拒絶なのか、虚無なのか?かと言って、妹たちや母に対しての愛情がなさそうというのでもない。
最後の母の放つ、夫を「愛してる」という言葉は、それぞれの心の痛みや闇を抱えている子供たちを「愛している」という宣言にも取れて、どこか仄かな希望の小さな灯を感じた。
自傷行為を繰り返すマリーは、実は演出家ピエール・ノットさんの実在の兄妹がモデルになっているそう。
だからこそ、全体にリアリティを感じ、序盤は戸惑いながらも、最後まで引き込まれて見てしまうのだろう。
普段、使わない感情や感覚、心の筋肉を使って観た後に、自分の中に何か蠢くものを感じた、素晴らしい舞台でした。
文:麻美 雪
満足度★★★★
不平不満の多いフランス人
それを体現しているような母親と3人の子供の話ということになっているが・・・見方は色々なのでネタバレへ。それにしてもカトリーヌ・ドヌーブってそんなに無敵な感じなのかしら?「シェルブールの雨傘」を思わせる色使いの衣装が素敵、間接照明の使い方もうまい。