私もカトリーヌ・ドヌーヴ 公演情報 私もカトリーヌ・ドヌーヴ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    意欲作
     初演は、2005年フランスである。モリエール賞他数々の賞を受賞した作品であるがヨーロッパの親子関係と日本のそれとは大きな違いがあるので、その辺りを理解していないと分かり難い点が出てくるとは思う。

    ネタバレBOX

    因みにヨーロッパの一般家庭では子供は飼育すべきものと考えられている。謂わば人間的でないソバージュな状態に在る存在と考えられているので教育が必要なのである。然し、日本では、子供は天使とか王様である。基本的に愛らしく庇護の対象と考えられており、ユマニテを仕込むべきソバージュではない。
     またヨーロッパに於いては、子供と雖も独立した存在としての個であり主体であるが、日本の親子関係は、寧ろ主体の本来持つべき壁がないばかりか極めて曖昧な綯い交ぜ状態を為していることが多く、親は子離れができず、子は親離れができないような関係が多いから、そのような状態では、今作を、創られた同一地平で解釈することはできないとまでは言わないが困難を伴うとは考える。
     今作、フランス語で読むととんでもなく面白い。が、そのドライで辛辣でイロニーとエスプリに満ちた言語を翻訳することは不可能である。単語それぞれの内包が異なりセンテンスともなればその表す背景は、文化的・歴史的・状況的に大きく異なる。まして現代の作品であるから、古典のように背景が既に滅び、謂わばエッセンスだけが継承されてきたような作品とも異なる。この辺りが、いくら大きな賞を取っている作品とはいえ、翻訳劇の難しい所だろう。だが、一方、流石に大きな賞を取っている作品だけあって本質的に深い部分を持つためその部分で大きな勘違いをされることはない。何れにせよ、現代フランス語演劇の中でもかなり翻訳の難しい作品を、日本で掛けたという点でとても冒険的意欲的な試みである点を高く評価したい。
  • 満足度★★★★

    (私も…)のようになりたかった!
    フランス人の性質と教育や家族の姿が浮き彫りになっていました。
    日本人にはわかりにくくて当然!
    個性的な芝居で淡々と芝居が進行するが、母親だけは別でした。

  • 満足度★★★★★

    濃密な舞台
    すでに劇場内は薄暗い照明に照らされ、沈鬱な雰囲気が醸し出されている。そして、この照明がわずかな変化が、登場人物の人柄なり...その本質を描き出すような効果をあげる。
    全体的には、それぞれの役者のセリフ...会話のようでもあり、独白のような抒情的な印象も受ける。その繋ぎが物語を展開して行く。動きで観せるというよりは、力強いセリフが最小限と思われる役者の動きを確かなものをイメージさせる。まさに心魂に響かせるセリフで観(魅)せるという公演であった。

    ネタバレBOX

    舞台セットは、中央に長方テーブルと椅子、上手にボックス(中に座人が入れる)、下手に飾り4階段とミニステージ(1人が立つ程度)、スタンドマイクがあり、舞台奥に窓がある小部屋、またはアナウンス室をイメージする仕切りがある。当初はこの配置であるが、物語が進展するに従い、奥の部屋を除き、移動・変化する。それも役者が自然な振る舞いで動かすのである。

    芝居は、それぞれが勝手に不平不満を吐露するようであり、それがいつの間にか家族の歪んだ生活状況を浮き彫りにする。濃密な会話があるような、そして独り言でもあるような不思議な感覚が新鮮であった。

    そして、その雰囲気作りは、証明...基本的には淡い自然光、赤、青の3光射で最大限の効果をあげていた。そして役者が劇中で心情をしっとりと歌い上げる。大人の芝居という印象...そして余韻が素晴らしい。

    梗概は、姉は、自分を大女優カトリーヌ・ドヌーヴだと思い込む、妹は、台所でリストカットをしたり、歌ったりする。そして息子は、沈黙の殻に閉じ篭り、ほとんど外に出ない...母親は、そんな子供たちにイライラする。さぁ、説教、小言など等。そして母親は一人孤立し疲れ果て、終いには自分に向けて希望を失った哀しい愛のシャンソンを口ずさむ。

    母親の思いと子供たちの小煩いと感じるギャップ感が、わざと笑いを取るのではなく、自然と笑みが...姉だけではない、勝手「カトリーヌ・ドヌーブ」は映画の中だけの肢体ではなく、確かにこの劇場にもいたようだ

    次回公演も楽しみにしております。

  • 満足度★★★★

    いい舞台を観ました!
    舞台美術や照明が美しい。母役の観世葉子さんの観客を物語世界に引き込む力がものすごくて恐ろしい、けれどとっても魅力的。音楽がまたすてきで物語と一つになって人の心の不安を煽るよう。五感すべてで楽しめる舞台。惜しむらくはシャンソンの歌い方が子供っぽすぎるかな。あれはわざとああいう演出なのかな。歌が下手っぽい感じが無垢な子供っぽさを表していたようにも感じられますが、そのわりに歌の比率が多いので、もうすこし聴かせることのできる歌い方だと尚楽しめたとおもいます。そこがすこし残念。

  • 満足度★★★★★

    病んでいる
    雰囲気を楽しみました。

    ネタバレBOX

    カトリーヌ・ドヌーヴを振る舞って、そこそこ若い頃のカトリーヌ・ドヌーヴに似ているのか奇行による反応は別にして、街の人からは世話を焼いてもらえるくらいの長女、リストカットを繰り返し、部屋に閉じこもって歌手だった母親が若い頃に歌っていたシャンソンを歌う次女、遠くに住み無口な息子、そして、どうしてこうなったのかと嘆く母親から成る家族の日々を描いた話。

    バタ臭く歌の上手い次女役、同じくバタ臭い息子役、雰囲気が出ていました。年金生活には早そうだし、誰もろくに働いていないようで、生計の基盤が見えませんでした。

    誰が悪かったのでしょう。自然とこうなっちゃうこともあるのかなと思いつつ、子供ができたせいで歌手を捨てて家庭に入ったと幼い子供たちに母親が愚痴をこぼしたのが原因だったのか、母親は歌手を続けていればよかったのかなどと考えました。いずれにせよ、病気だったら通院させないといけないと思いますが、そんな気配はありませんでしたね。
  • 満足度★★★★

    奥が深い
    フランス文学を読んでいるような感じの作品。暗いし,エゴイスティックだし,分裂してるし,なんか個人の闇をいくつもの方向から照らしているようで,難解だし,観ていて楽しくはない。でもでも,これって多かれ少なかれどんな家庭にだってあることだよね。そう思って観ていくと,いろいろな答えが見えてきそうで,なんか面白くなってきた。

  • 満足度★★★★★

    「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」
     先週の土曜日、上野ストアハウスに、AKATSUKIの菅原奈月さんが出演される、フランスの演出家ピエール・ノットの作・演出による舞台、「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」を観に行って参りました。

     ある日突然、「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始めた長女ジュヌビエーヴとある出来事がきっかけで、部屋に引きこもり、家の地下室で居ない観客に向かい、キャバレーで母の歌っていたシャンソンを歌っていると思っている、リストカットを繰り返す次女マリー、無口だが部屋で拳銃を🔫ぶっぱなし、今は家を出て離れた場所で暮らす長男、自分達を棄てて出て行った夫と心に何らかの闇を抱えた子供たちに振り回され、心悩ましながらも、自分なりにそんな家族を愛してはいる母が繰り広げる家族の物語。

     とまぁ、何とか整理してあらすじを記すとこうなるのだけれど、幕開けから、母以外の登場人物が全てが顔にも声にも一才表情を現さず、粛々と舞台が進んで行く。

     序盤は、本当に難解に思える。この舞台は、何を言いたくて、何を言っているのか?あまりにシリアスで、わけが分からないのに、何故かどんどん引き込まれて観て行く内に、ヒリヒリした痛みや息苦しいようなそれぞれ心の闇を感じるのだけれど、母とジュヌヴィエーヴの会話に可笑しさが出て来て、じわじわと笑いの小波が起こり、面白くなってくる。

     この、一見難解で戸惑いながらも引き込まれ、最後まで一気に見入ってしまう感覚は、20代の頃に観たジャンヌ・モローの映画「突然炎の如く」のそれととてもよく似ていた。

     菅原奈月さんは、いつもAKATSUKIで観ている奈月さんとは全く違う、自分の体を切ることで、生きている事を確認しているようにも、ある種の罰を与えることで自分を許し赦されようとしているような、地下室をキャバレーと思い込み、見えない観客に向かい、シャンソンを歌っている時だけ、唯一生きている実感を感じられているのだろうマリーを、表情を消すことで、心の痛みや叫びの表情を感じさせた。

     小林亜紀子さんのジュヌヴィエーヴは、ある日突然、「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始める、ある種の狂喜の中に居るように見えて、そう思うことで自分を保とうとしている、壊れそうな自分を必死に持ちこたえようとしているようにも見えてくる。

     それは、自分達を棄てた父に対してか、もしかすると母の愛を欲するひとつの母への甘えなのか、自分のアイデンティティーを探しあぐねての事なのか。ジュヌヴィエーヴの姿を見ながら、様々に考えた。

     観世葉子さんの母は、唯一最初から娘たちや出て行った夫に対しての苛立ちや腹立ちを表情に出し、感情を顕にする存在。引きこもり自傷行為を繰り返すマリーと「私はカトリーヌ・ドヌーヴ」と言い始め、母を否定するかのような発言をするジュヌヴィエーヴに、戸惑い苛立ちながらも元の娘たちに戻って欲しいと渇望する母の孤独と母なりの愛情を観て行く内に感じさせる。

     高橋和久さんの息子が、ある意味一番捉え処がない。なぜ、彼は家に居た時、家の中で拳銃を打ちまくったのか?父の血が自分の中に流れている事への拒絶なのか、虚無なのか?かと言って、妹たちや母に対しての愛情がなさそうというのでもない。

     最後の母の放つ、夫を「愛してる」という言葉は、それぞれの心の痛みや闇を抱えている子供たちを「愛している」という宣言にも取れて、どこか仄かな希望の小さな灯を感じた。

     自傷行為を繰り返すマリーは、実は演出家ピエール・ノットさんの実在の兄妹がモデルになっているそう。

     だからこそ、全体にリアリティを感じ、序盤は戸惑いながらも、最後まで引き込まれて見てしまうのだろう。

     普段、使わない感情や感覚、心の筋肉を使って観た後に、自分の中に何か蠢くものを感じた、素晴らしい舞台でした。


                                文:麻美 雪

  • 満足度★★★★

    不平不満の多いフランス人
    それを体現しているような母親と3人の子供の話ということになっているが・・・見方は色々なのでネタバレへ。それにしてもカトリーヌ・ドヌーブってそんなに無敵な感じなのかしら?「シェルブールの雨傘」を思わせる色使いの衣装が素敵、間接照明の使い方もうまい。

    ネタバレBOX

    この3人の子供って生きてるのかな?それとも元々いない?長男は産まれたときに死んでいる?長女は母親の昔の姿?次女はすでに自殺していないように見えた。さらに言えば3人とも母親のことかもしれない。

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