「海のホタル」 公演情報 「海のホタル」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
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  • 満足度★★★★★

    亡き作家大竹野正典の作品。
    夏に同じ下北沢で(オフィスコットーネも同じ)上演された『密会』に当てられたので、『山の声』も合わせてこの大竹野作品を見に行った。好きな世界だ。人間という存在の深みをまさぐり、接近しながらこれを観察している。なるほど観客はこの救いようの無い人間の(フィクションではあるが)実像を、観察している。そういう自分の黒さを感じる。演劇は覗き見である。覗かれるために舞台に立ち演じるこの人達は凄い、これに尽きる。そしてそれをやらせているのは今は亡き、作家の、書いた言葉。この時代のこの世の周縁、地べたに蠢いている人間共のやり取りをみているとこの社会の構造が、力学が、真実が、どうしようもなさが、思われて来る。「保険金殺人」という単語がちょうど当て嵌まる話だが、何か全然別の話だったようにも思う。それは殺人の外側からでなく内側から眺めたからだろう。「観察」と言ったが彼ら彼女らにしっかり感情移入していた訳だ。そんな自分の事も全て、かの作者に観察されているような気がしている。

  • 満足度★★★★

    「山の声〜ある登山者の追想〜」観劇
    自己都合により両方は見られないため、当日券で「山の声」を観劇。
    両作品共、大竹野氏の作品。2009年に急逝されたため「山の声」が最後の戯曲作とのこと。
    大竹野さんの舞台作は初見。また初めて訪れた劇場でもあったが、既存の小劇場みたいな空間だった。

    昭和の初め、大晦日から元旦にかけ2人の登山者が雪山で遭遇した出来事。淡々とした会話がしばらく続くものの、終盤にかけて心理の追い込み方がチョコケー日澤さんらしいと思ったし、途中これってチョコケーの公演か?とも思えた。雪山に見立てた舞台セットを、V(L?)字型に挟むように配置した座席構造。登山ザック背負ってピッケル持って歩くだけなのに足掻く姿は雪山で彷徨う姿そのもの。モノクロみたいな舞台で2人しか出てないのになんであんなに濃いいんだ。
    面白かった。約65分。

    終演後、「海のホタル」の構成・演出のシライケイタ氏と「山の声」の構成・演出の日澤雄介氏とプロデューサーの綿貫凛さんによる約20分程度のアフタートークあり。ネタバレ部分に読みづらい覚書。

    ネタバレBOX

    妻と生まれたばかりの女児を自宅に残し、登山者2の浅井と真冬の槍ヶ岳に登頂した登山者1の加藤。天候の悪化のため雪山で待機した一夜の話。加藤と浅井はそれぞれ会話はしているが目線を合わすことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っている。今回の登頂で凍傷を負った加藤、しばらく身動き取れず2人で話すうちに自分たちの登山家として境遇や下山に思いを馳せる。山の天気は変わりやすい。夜明けが近づき一瞬の天候好転。その隙を好機とし、最後の気力を振り絞り山頂を目指す、遭難した加藤と浅井の結末。
    山小屋、雪山、遭難、幻覚、走馬灯。寝たら死ぬ。それでも山が好き。という言葉が常に付きまとう観劇でした。見ごたえありました。

    日澤さんを挟んで、右にシライさん、左に綿貫さん。椅子に座ってトーク。以下、覚書。部分省略あり。

    綿貫)大竹野さんの作品扱うのはこれで4回目。今回、シライさんは「海のホタル」のみ関わっているが、「山の声」は以前、演出と役者で何度か上演したことがあり、毎回登山者1をやっている。相手役の登山者2の役者は入れ替わり。これまでの上演はカフェとかでやった。今回のような劇場は初めて。劇場ver.としてチョコレートケーキオリジナルキャストで上演した。
    日澤)今回のような、同時に上演してやるのは難しかった。
    シライ)客観的に見られなかった。自分が上演した時は淡々とやった。本の読み方の違いなのか、同じトーン、時間(使い方?)でも違う。
    日澤)登山者2が死んでいるが「始めから(死んでいること)バラすのか」と綿貫さんに言われ、モノローグをどうしようかと悩んだ。登山者1の言葉を登山者2が言うのは2人が1人の言葉という方が面白いか、登山者1の頭の中で処理しようかと。目を合わせずらいようにした。最後のシーンが肝(キモ)だから、残したかった。なので派手に動いた。今日は特に役者が淡々とやっていた。
    シライ)(舞台を初めて客席から) 見て心の振幅が大きい本だなーと、思った。こんなになっているとは(思わなかった)
    日澤)内的に出さないで見せる。立っているだけで絵になる。
    綿貫)シライver.ではモノローグを朗読。カフェの上演を踏まえて、椅子に座って意図的にやっていた。
    シライ)(カフェの舞台に当たるところが)真っ平らなところ。(床に)座ると見えないので。単純にそれだけ。今回の登山者1も座っていたが立ち上がったらどうするか?
    日澤)岡本さん(登山者1)立ち上がらせると違う、動かせ方が違ってくる。
    シライ)幻想、幻、周りを動くのは基本なんだろうな。
    日澤)2人の適性を、武器というか考えた。原作は関西弁、シライさんが東京弁に変えた。基(もと)台本はテンポ良い。
    綿貫)(台本の関西弁)「海〜」の方もそう。(「山」) 1回目(の上演時)、登山者2だけ関西弁だった。それも違和感なかった。
    シライ)それで良かったが回を重ねたらネイティブじゃなくなってたから。
    綿貫)もともと戯曲の上演時間は1時間40分くらい。カフェでは1時間くらいにカットした。登山の様子をカットして上演した。今回はその時のシライさんの構成台本に手を加えた。
    シライ)(台詞で)「僕はそう痛くない」ここは元の台詞そのまま、甘納豆とか自分が(演出もやってて)覚えらないからカットした。基の台本はクライマックスが倍の台詞だし。全般1時間40分でやるとしたらどうする?
    日澤)お客さんが(話に)耐えられないので考える。これをやるなら考えないと。座りっぱなしは加藤(登山者1の役名)だけだし。
    シライ)(大竹野さんが過去に上演した)ビデオ見たら横並びに座って絵が長かった。大竹野さんの奥様は毎日見ている。昨日、どっちかというと(日澤さん演出の方が)大竹野さんがやっているような感じ、と言われた。シライさんは全然違う、新しい発見と言われた。日澤さんの方で出演も考えたが、「海」の演出やって、こっちで役もやってムリ。(もしやったら)台詞覚えながら代役立てて演出することになる。(「山」は)椅子に座らないと出来ない。でも台詞は全部覚えているから、(今回の登山者1の)岡本さんに何かあったら動きは別にして立ってるだけならやってもいいです。

    (大竹野さんのこの戯曲は)演劇の原点みたいな作品台本。オリジナル原作のクライマックスでは、堺正章の「街の明かり」を流していたらしい。シライさんも当初は同じように考えたらしいが、ト書きでは歌い終わって最後のセリフを喋る、というパターンなのでやってみたが「俺にはムリだった」ということで変更した。もともと(エンディング等)劇中に歌謡曲を常に入れる方らしい。

    時間が来て終了。

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