生きることに
紛争、内戦、少年兵…そうした社会の中で、若者がもがきながら、如何に生きるかを探し求める姿が描かれていました。注目していた安藤聡海さんは、これまでの役柄とは違い、男・薬に身を落とす役どころに挑戦されていて、新鮮さと戸惑いを感じました。俳優さん女優さんの新たな一面を観られること、これも舞台の面白さですね。作品としては、脚本として展開が唐突だと感じる場面がいくつかありました。(市民【子ども】が被害に遭う場面など) セットも、紛争による破壊で廃墟に近い状態を表す意図なのか、長梯子を使った階段や建築現場の足場のようなもので、観る者としては不安を感じてしまい、楽しめませんでした。中央に置かれたバイクの演出も好みではありませんでした。魅力的だったのは、伊藤知香さんの演じる女性の母性。女と感じさせるセクシーさと、母性を漂わせる親族への愛情が見事に演じられていました。やはり宗教や文化や社会情勢というバックボーンが違う世界を描く作品の上演は悲劇のポイントを絞り込まないと難しいなと感じました。雑感として、なかなか席が埋まらない公演が多い中、たくさんのお客さんが詰めかけ、開場前には長蛇の列ができあがる人気ぶりに感心しました。
満足度★★★
【追記あり】金属光沢を放つような硬質な芝居
60を超える数の場を素早く転換することを可能ならしめた装置と演出は買うが、逆に「あ、もう次の場なのか」「また換わったのか」などと考えながら観ることになり忙しなく、入り込みにくい欠点も併せ持つ。
そんな中で語られるのは紛争の続くベイルートでの2人の若者を中心とした物語。
銃声や砲撃音が響く中での日常、当然のことながら登場人物は全てカタカナ名前、などから小説を原作とした邦人オリジナル脚本にもかかわらず翻訳劇的な印象。
そんなこんなにより金属光沢を放つ(色はブルースティール)硬質で直線的な芝居で、なおかつ映画を舞台で再現したような感覚。(作者の狙い通り?)
観応えもあったが、どこか取っつきにくさもあったというのが正直なところ。
【追記】
あと、音楽がクドいのには参った。
個人的な感覚だが、アクションやコメディならまだしも、シリアスな芝居の場合、管弦楽を使った映画音楽風の大仰な曲を使われると醒めてしまう。
「ここが山場ですよ」「さぁ、感動しなさい」などと押し付けられる気がするし、芝居自体で感動させる自信がないので音楽の助けを借りているようにさえ感じられてしまうのだ。
(シリアスな)芝居には簡素なBGMで十分ではなかろうか?
満足度★★★★
麻痺した世界!
そこでは、簡単に人を殺したり、殺されたりします。
いろいろあるが、それに比べると私たちは平和な生活で、自由に暮らしていると感じていなければと思う。
舞台上のスクリーン使用は良いと思うが、見づらくその効果は弱かった。
満足度★★★★
背景
1975年からレバノン内戦が始まった。然し、他の中東地域などと同様、この遠因というより、直接的原因は、第一次世界大戦でドイツと共に敗戦国となった旧オスマントルコ支配地域の、英仏による不自然で不条理な分断政策にある。今作で扱われるのは、1975年からサブラ・シャティーラ虐殺事件(1982年)迄の期間である。この認識が無いと、今作の意味する所は、捉えきれまい。
上演中でもあり、大切なポイントだけを挙げておくと、元々のレバノンは、ファハル・アッディーンの支配地をベース(小レバノン)とし、ドゥールーズ派が多かったが、フランスが、この地域を含めシリア領域であったエリアを大レバノンと唱えて内部対立させ、独立派を抑えようとした為、レバノンという国家は、大シリアに統合された諸地域、諸宗教が、歴史的、文化的、社会的に自然な結合を無視した形で強引に成立させられた。これが為に、レバノンは極めて人工的な政治体制が組まれ、17ある宗派の其々が、どの政治的ポジションを取るかが決められていた。一応、国政調査に基ずいた人口比率によったのだが、その国勢調査自体、アリバイ作りの為に行われたに過ぎず、定期的に実行されるなど民意を反映するものでもなかった為、人口実態を反映させることができず、民衆の鬱屈は充満していたのである。このような中で、宗派対立などが、抑えきれなくなれば、人々のアイデンティティーは危機を迎える。そのように不安定なアイデンティティー問題も、今作では極めて重要な要素であることを意識して観劇すべきである。
役者の力は、高いので、もっと観客席に踊り込むなど、観客に臨場感を持たれる演出が望ましい。また、若者の苛立ちや疾走感の象徴として置かれているバイクが、使われていない間、象徴としての機能を重んじるなら、スポットなどで、必要に応じてライトアップするなり何なり、何か工夫が欲しい。(追記後送)
満足度★★★
正攻法
脚本・演出・演技、すべて正攻法の芝居。
私には古典的過ぎる作風のため、あまり惹かれるものがなかったけれど、
正攻法で骨太の作品が好きな人には良いのだと思います。
テレビなどでも拝見する伊東知香さんは存在感があった。
満足度★★★
舞台として「何を観せたいか?」が整理できていなかったのでは?
原作ありきのお芝居では、
原作→脚本/演出の段階で、
(基本的に)単行本一冊の物語にしても
舞台演劇2時間程度におさめるにはとても長く、
脚本そして演出の時点で
「何を観客に観せたいのか?」
「どういう気持ちにさせたいのか?」
などを考えて見せ場とそうでない場面を分け、
削っていく作業があると思います。
しかし、本劇ではとにかく原作の場面場面を全て
盛り込もうとでもしたのか、
とにかく場面の転換が早過ぎる上に
観客の理解が追いつかない形で場面転換してしまう為、
置いてけぼりになる観客が多数だったと思います。
※ 僕は本作品の原作を読んでいないので
これでも削った方なのかも知れませんが・・・