満足度★★
歴史好きとしては……
個人的には、芝居自体の尺が長いと感じました。
台詞の掛け合いのテンポがイマイチ、そして声量が無く聞き取り難いと感じました。
以降はネタばれBOXに書き込みます。
満足度★★★★
種を蒔く!
学問とは、先人から学び自ら実践し、後人に引継ぐことなのでしょう。
吉田松陰の人となり、門人を含む身近な人たちとの結び付き、繋がれる志など良く解りました。
スローテンポのせいか、途中じれったい箇所はありましたが、その分重厚な舞台でした。
「聖人」吉田松陰が慕われる理由とは
吉田松陰の出身地・山口県旧松本村を訪れると、絶対に発してはならない呼び方が あるという。
もし、部外者が「吉田松陰」と呼び捨てにすれば、地元民は「松陰先生と言いなさい!」と顔を赤面させ、その後の人間関係にさえ支障が生じるらしい。
そんな吉田松陰“先生”を舞台化するのだから、著書や歴史書を読み解き、旧松本村の方々にとっても無礼ではない人物像だったと思う。逆にいえば、「聖人」を描くばかり、亡くなった時は29歳であった、その「若さ」を感じることが できなかったのである。ペリー提督の黒船に潜み、アメリカ行きを試みた冒険心を映すべきだった。
「明治維新」「尊王攘夷」を打ち立てた独立思想の持ち主なのだから当然、「朝鮮征伐」もセットだった。舞台では、「万民一君」の理念が塾生の間を巡るが、身分の違いを乗り越えた思想を説く「聖人」の面しか表さない。
「富国強兵」の善し悪しは議論されるべきだろう。しかし、山県有朋等の国権主義者を輩出した松下村塾の、その攻撃性は描けておらず、やはり「新政府軍」「薩長同盟」側からみた吉田松陰なのである。
私は今、短い文章のなか、七つも四文字熟語を提示した。国政選挙のフレーズを思い出せば、私たちが熱狂した文字数は四文字ないし、五文字の熟語が圧倒的だった。
「政治とは言葉である」という例えもあるが、時代が動き出す際、「キッチリした造語が溢れる」のは世の常である。
日本には人種問題が存在しない。だが、21世紀の今日ですら、山口県人と会津若松市民が腹を割って語り合う状況ではないことを考えると、「戊辰戦争」の遺した影は人種問題に匹敵する。1964年〜1973年のベトナム戦争時、韓国・朴正煕大統領はアメリカの要請に応じ、同盟国最大規模の計32万人を 派兵した。
この部隊は「猛虎」という名を広め、戦闘中を問わない残虐行為ぶりから韓国に対する同国民の感情は極めて複雑である。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』にみられるように、「明治維新」という権力闘争を、志の持った脱藩武士達のドラマへ置き換えがちだが、その一方、『八重の桜』の物語も忘れてはならない。
無形文化遺産『隠岐相撲』は、第一戦を闘い、どちらかが白星を取れば、第二戦では白星力士が負けなければならない掟が存在する。これが、離島を生きた島民による「敗者を労る精神」だ。
少なくとも、旧幕府側の武士、民間人を犠牲にさせた思想のバックボーンなのだから、吉田松陰が完全なる「聖人」は あり得ないだろう。そこは、その人物の持つ「人間らしさ」を掴みたかった印象である。
ただ、舞台は、吉田松陰役・大和鳴海の静かな語り調が安らぎを与えていた。他の血気盛んな若者がコメディ要素を出すごとに、その「聖人」が浮き彫りになる構図だろう。
身体観に重厚さが欠けていたのは残念であったが、「幕末の恋愛」には女性客も泣いた。
満足度★★★★★
見応えありました
松陰のイメージがよく表現されていました。素直に演じるということの奥深さを感じました。とかく、過ぎた演技や意識された関係性の意識が眼につきますが、このお芝居は「醸し出す、にじみ出る」という自然な演技は見応えありました。
満足度★★★★★
時代の鏡
「酒が飲みたい夜」という石原 吉郎の詩があるが、そのフレーズに“酒がのみたい夜は 酒だけでない 未来へも罪障へも 口をつけたいのだ”というのがあって、実に、この詩のような感触を持った作品である。(追記2014.1.24)