満足度★★★★★
天使×2
kids' perspective?
ミニマリストの美、省略あるいは誇張。
・・これは、誰から見た世界なのか?
カリガリ博士を思わせる、前世紀前半の表現主義を思わせる誇張されたパースペクティブ。それはしかし狂ってない。
物語には天使がふたり、登場する。
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エミーリア・ガロッティよりメイジーの瞳って映画の方が似てるかも知らん。映画はまだ観てないけど(苦笑
満足度★★★★★
皆が人形
原作をカットしつつ新たな台詞を加え、シニカルなユーモアが感じられるスタイリッシュな演出と濃厚な演技で描かれた、75分という短い上演時間の非常に密度の高い『人形の家』でした。
開場すると既に舞台上に役者がいて、おそらくラドゥ・スタンカ劇場の役者やスタッフ達に『人形の家』の内容に則した「家族」や「結婚」に関する質問をする映像が流されていていました。映像が終わるとクリスティーネが訪れるまでのシーンは無言劇としてパフォーマンス的に表現され、その後は比較的オーソドックスに演じられ、スマホで写真を撮ったり、ダンスパーティーの音楽が現代のヒットソングだったりと少々現代的な味付けがされていました。
会話シーンでも2人とも横並びで正面を向いて話し、各役柄の性格を強調したいかにも芝居じみた、ある意味様式的な演技スタイルが登場人物全員が人形であることを表しているように思えました。両サイドの壁と天井に人工的なパースを掛けた真っ白な空間の中、奥にある3つの開口(中央はドア付き)から手前に真っすぐに歩いて来てポーズを取る様子がファッションショーみたいで、それも登場人物の人形感を強調していました。夫も最後には体のコントロールを失い、糸の切れた操り人形の様な動きになってしまうのが印象的でした。
服を脱いだり、キスしたり、撫で回したりとエロティックな接触表現が多く用いられていましたが、嫌らしさよりも滑稽味が感じられ、最後の場面でトルヴァルがノーラに触れようとしても出来ない場面が引き立っていました。
ノーラの娘エミに重要な意味合いを持たせていて、ノーラが人形のように扱うエミが人形を抱えていたり、ノーラのダンスシーンに続いて原作にはないエミのダンスシーンがあったりして象徴的でした。
どの役柄も強い個性が感じられて、特に細身のスーツを着てしばしば眼鏡に触れるクロクスタの神経質な感じや、露出度の高い服とクリスチャン・ルブタンの靴を身に付けたクリスティーネの原作とは異なる開けっ広げな感じが強烈でした。
短い作品なのに平日の14:00と18:30開演の回しかなかったり、当日空席が多くあったにも関わらずチケット取り扱いサイトでは早々に完売扱いになっていたのは、観たいと思っていた客を逃す結果になっていたと思います。せっかく素晴らしい作品なのに勿体ないと思いました。