National Theatre Radu Stanca  ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場(ルーマニア)「NORA ノーラ」 公演情報 National Theatre Radu Stanca  ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場(ルーマニア)「NORA ノーラ」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
1-2件 / 2件中
  • 満足度★★★★★

    天使×2
    kids' perspective?

    ミニマリストの美、省略あるいは誇張。

    ・・これは、誰から見た世界なのか?

    カリガリ博士を思わせる、前世紀前半の表現主義を思わせる誇張されたパースペクティブ。それはしかし狂ってない。

    物語には天使がふたり、登場する。


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    エミーリア・ガロッティよりメイジーの瞳って映画の方が似てるかも知らん。映画はまだ観てないけど(苦笑

    ネタバレBOX

    ひとりは、人形の家の娘、女の子の姿をしている。あるいは女の子そのものである。白い服を着る。

    そしてもう一人は、堕天使のように穴の開いた黒衣に身を包んだ医師の男。

    ふたりはけっして報われない。

    自分勝手な大人、あるいは狡猾な人妻に翻弄される♨

    男は、やがて天に召される。

    まるで、自分の運命がズタズタになって身が滅びるのを楽しんでいるようでもある。

    パンクじみた衣装がそれを象徴しているようでもある。

    堕天使と仲良しの、天使のような少女はしかし、すべてを見通すようでもある。

    少女は、母親に言う。「すべての人間は、孤独なのよ」と。

    人間はどこから来て、どこに行くのか?

    もし、天のようなところから魂が来て、子供に宿るのだとしたら、天国に近しいのは、より小さな子供かもしれない。あるいは死を目前にして悟る者。


    この物語は、二人の天使の視点を通じて、人形(=人間)たちの踊るダンスを神にささげた供物なのかもしれない。

    舞台上で一番狂った操り人形じみた動きをする、クログスタ役の俳優の演技がとりわけ印象に残った。

    経済と言う名の糸に引かれて、首を傾けながら・・・壊れた人形のように、亡霊のように、陰気にノーラを脅迫するくすんだ色のスーツを着こなす男。

    ただ彼はやがて、未亡人の愛を得ることによって生気を取り戻す(笑

    洗練、ロック、パンク。

    音楽と天使とが、世界の果ての人形の家で交叉する。



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    ちなみに会場内で「これはさいたまのエミーリア・ガロッティだよ」
    という声が聞こえましたが、
    自分も観ましたが、作品としては全く別かと・・
    それを言ったら、神戸の維新派とかも・・?・・念のため(苦笑
  • 満足度★★★★★

    皆が人形
    原作をカットしつつ新たな台詞を加え、シニカルなユーモアが感じられるスタイリッシュな演出と濃厚な演技で描かれた、75分という短い上演時間の非常に密度の高い『人形の家』でした。

    開場すると既に舞台上に役者がいて、おそらくラドゥ・スタンカ劇場の役者やスタッフ達に『人形の家』の内容に則した「家族」や「結婚」に関する質問をする映像が流されていていました。映像が終わるとクリスティーネが訪れるまでのシーンは無言劇としてパフォーマンス的に表現され、その後は比較的オーソドックスに演じられ、スマホで写真を撮ったり、ダンスパーティーの音楽が現代のヒットソングだったりと少々現代的な味付けがされていました。

    会話シーンでも2人とも横並びで正面を向いて話し、各役柄の性格を強調したいかにも芝居じみた、ある意味様式的な演技スタイルが登場人物全員が人形であることを表しているように思えました。両サイドの壁と天井に人工的なパースを掛けた真っ白な空間の中、奥にある3つの開口(中央はドア付き)から手前に真っすぐに歩いて来てポーズを取る様子がファッションショーみたいで、それも登場人物の人形感を強調していました。夫も最後には体のコントロールを失い、糸の切れた操り人形の様な動きになってしまうのが印象的でした。
    服を脱いだり、キスしたり、撫で回したりとエロティックな接触表現が多く用いられていましたが、嫌らしさよりも滑稽味が感じられ、最後の場面でトルヴァルがノーラに触れようとしても出来ない場面が引き立っていました。
    ノーラの娘エミに重要な意味合いを持たせていて、ノーラが人形のように扱うエミが人形を抱えていたり、ノーラのダンスシーンに続いて原作にはないエミのダンスシーンがあったりして象徴的でした。

    どの役柄も強い個性が感じられて、特に細身のスーツを着てしばしば眼鏡に触れるクロクスタの神経質な感じや、露出度の高い服とクリスチャン・ルブタンの靴を身に付けたクリスティーネの原作とは異なる開けっ広げな感じが強烈でした。

    短い作品なのに平日の14:00と18:30開演の回しかなかったり、当日空席が多くあったにも関わらずチケット取り扱いサイトでは早々に完売扱いになっていたのは、観たいと思っていた客を逃す結果になっていたと思います。せっかく素晴らしい作品なのに勿体ないと思いました。

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