【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』 公演情報 【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    べらぼうに面白かった。

  • 満足度★★★★

    アイデンティファイするということ
     アイデンティティーの探究と魂の救済を巡る物語。原作は、イプセンだ。但し、自分は無新論者なので、宗教的な死、救済、恐怖などは、総て宇宙の中に在る己の卑小を自覚した時の余りの恐ろしさに律然としたヒトが、その実存的虚無感から逃れる為に編み出した単なる方便に過ぎないと思ってはいるが。そう言ってしまっては身も蓋も無いから、少し、今作の内容を追いながら作家の想像力に付き合うとしよう。

    ネタバレBOX

     先ず、ペール・ギュントは父譲りの大法螺吹き、大酒飲みのロクデナシとして登場する。母はできの悪い息子を嘆いてみせるが、見捨てているどころか、大変愛している。その母の愛にくるまれ、保護され乍ら、ギュントは皇帝になると公言し城を持つと嘯く。
     彼の望みは女性を通してやってくる。長者の娘に惚れられる。王女と結婚する等々だ。だが、彼は、本当に自分が愛する女性と故郷で出会い、彼女との間に純粋な愛を育みながら、自分探しの旅に出、武器の密売や人身売買でしこたま儲け、大金持ちの成功者になる。が、その財産を狙った若い女に数々の貢物を与えるなどという愚行もし、終には、地獄落ちがほぼ確実ということになる。唯一、救いの可能性は、彼の純愛にあった。出された謎に故郷の彼女がどう答えるか。その答え如何で彼は救われる。彼女は答える。彼の不在の間、ずっと彼女は彼を夢見、愛し続けたと。
     この答えが契機となって、彼は、新生を経験する。ギュントを演じた俳優が全裸になるのは、生まれ変わりを意味しよう。舞台上に設えられたアクリル製の直方体に入って胎児のような姿勢を取るのはその為だ。この直方体は子宮である。その際、先にダヴィンチの円の中の人間のように体を広げてから、小さく縮こまるのは、生まれ変わりの時間的逆転を意味すると解釈した。
     然し乍ら、今作のギュントでは、イマイチ主人公への収束感に欠ける点があるようだ。イプセンの原作を読んでいないので原作でどう描かれているかは分からないが、この舞台では、ギュントが自分自身を自分自身で客体化することは無論できていない。それが、できないから、様々な愚行を含めて、精神的にも空間的にも彷徨うわけだが、実は、彼はいつも孤独である。それは、己を己自身で客体化することはできないという事実に気付くことのできる地平に迄達していないからである。彼は、夢か現か分からぬ中で死に、神と話し故郷へ戻る。そして、置き去りにして来た恋人に逢うわけだ。恋人という他者と会って初めて自己を客体化し得たのである。この当たり前のことが、当たり前のこととして認識できない過程が矢張り長すぎるので、収束される感覚が遠のいているのだろう。
     また、大作主義的な作りは小劇場演劇を見慣れている自分には、やや冗長に感じられたが、舞台美術や照明、音響の用い方は流石に力量を感じさせる。殊に舞台奥に鏡のように設えられた巨大な反射板と床に敷き詰められた砂の効果は見事で、観客をハッとさせるようなシーンが何度もあった。韓国の劇団なので、役者の演技の上手さは無論のことだが、かなり大きな舞台で存在感を押し出すことに意を用いている点でも、出吐けのタイミング、動きの良さにもリズム感があって良い。惜しむらくは、翻訳が本当に直訳で文章が長いので、舞台上の演技をゆっくり楽しめなかった。もう少し意訳しても良かったのではないだろうか? また、字幕の位置が、上手の端一か所というのも観ずらい原因の一つであった。
  • 満足度★★

    現代に甦らせた傑作なんですか・・・
    う~ん感性が異なるトコロは感じたけど、ねぇ・・・。
    でもまぁ冒険叙事詩『ペール・ギュント』の概要は理解できたかな?
    舞台セットとか舞台上の表現の面白さは認めるけど、
    韓国語の訳が舞台右側の表示のみな上に、
    その訳が今ひとつな表示に思えました。

    (15分休みいれて3時間)

  • 満足度★★★★

    自分自身とは
    江頭2:50さんは悪くて、韓国の劇団なら許されるのか。

    お笑いはダメで、演劇ならいいのか。

    それとも、それでしか表現できない必然性のあるゲージツならいいが、単なる勢いだけではダメなのか。

    ネタバレBOX

    字幕は上手側にしか無いため見にくく、文字数が多いため素早く変わります。両側に設置してあったらと思いました。

    というわけで細かいところは置いといて、地下の国トロルへ行ったり神様に会ったりしての自分探しの旅。結局、故郷には年老いても待ってくれている女性がいたのに、そんなことも忘れて自分探しを続けていたペルゥ。韓国語ではペールじゃなくてペルゥ・ギュンという感じでした。

    そして自分自身を見つめて晒すことで心が開放されました。スケールの大きな冒険譚は伝わりました。

    さて、先日観た演戯団コリペ『小町風伝』もそうでしたが、女性が胸を出すシーンがありました。日本でもたまにありますが、ここ一、二年は見ていません。韓国ではそうでもしなければ客が集まらないのかと思っていたところ、今度は男性が全裸になって局部を見せるシーンが二回もありました。

    自分自身を晒すとは男性自身を晒すことなのか、ゲージツ表現上必然と捉えているのか、女性客を取り込むための韓国演劇界の実態なのか、それとも女性の胸も含めてゲージツと称するパワハラがまかり通っているのか、韓国は一周遅れていると感じました。

    不特定多数の前で全裸になることが公然わいせつ罪に該当することはエガちゃんの事件で明らかになりました。これでいいのか、韓国の劇団に日本の法律をきちんと説明したのか、日韓関係を気にして何も言えないのか、運営側はどう考えているのでしょう。
  • 満足度★★★★

    よかった!
    日中韓による演劇祭の演目の1つです。韓国の劇団の方々による韓国語での舞台でした(日本語字幕つき)。自分は韓国語が解らないため、字幕を頼りに観ました。まず役者の方々がすごく上手でした。言葉の意味が解らなくても、声や身体から「気持ち」が伝わってきました。また舞台芸術・音響・照明なども素敵で中劇場の空間とマッチしていました。特に舞台奥の鏡(?)は良い味を出していました。スタッフさんにも親切に対応していただき、とても気持ちの良い時間を過ごせました。感謝しています。

    最後に、国が違えば演技の(特に群での)色が変わってきますね。そういうのも見れて良かったです。

  • 満足度★★★★★

    視覚的な空間演出が素晴らしい
    広い舞台を充分に活かした
    視覚的にとても面白い空間演出がなされている。
    音楽もその場で生で付けられていて素晴らしい。(←すべてではないけれど)

    内容としては、近代的自我、「私」とは何者かが問われている。
    と言っても、そんな固い演出ではなく、割とポップな印象。

    観ている最中は☆4くらいの印象でしたが、
    観終わった後、心に残るものがあったので、☆5にします。

    ※私はイプセンのこの戯曲を読んだことがないので、字幕を追うのがとても疲れた。 明日観る方で、戯曲を読んだことが無い方は、粗筋だけでも事前に知っておくと、舞台により集中でき、より楽しめると思います。

    ネタバレBOX

    「私」とは自分自身が認識し所有しているものではなく、
    結局は他人が自分を見つめる中に、
    それも自分を愛してくれている時に生じるものなのだ、
    と観終わった後思った。

    (舞台空間の使い方や、音の付け方などが、 ニットキャップシアターの 『少年王マヨワ』を観た印象と重なった。)

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