期待度♪♪♪♪
公房
不条理という意味では、日本で最も良くその言葉を体現した作家ではないかと思う。理Ⅲを出てだから、「他人の顔」などでは、当時の医学的知識が遺憾なく発揮されているわけだし、不条理と訳されたabsurditéは、無論、馬鹿げたこと程度の意味でもあるから、其処を含めて人口に膾炙することが望ましかった言葉である。公房は、その辺りのことは当然理解していた、と考えられる。無論、インテリが、古典を読む場合などにギリシャの神々が人に与える罰をして、不合理と判断する場合も当然のことながら、このフランス語の原意には含まれている。自分が、気に喰わないのは、日本で不条理という漢語に訳された結果、変に重い、主体が、情況に納得できないようなケースばかりを指して用いられる傾向が強いと感じるからである。馬鹿げたことなのだ。だから、不合理なのである。その辺りの論理をメンタリティーの坩堝に押し込めて、論じ得る、と感じる感性そのものがおかしい。日本の根本的な問題である。そこを、公房の思惑を超えて描けるか否か、そもそも、自分の指摘した程度のことについて気付いた上で、上演しようとしているのか否か、先ずは、お手並み拝見。