セレソンのDNAは、受け継がれて行く
「東京セレソンデラックス」が解散したのは周知の通りだ。
今年の5月、劇団として消滅した。
しかし、その精神はDNAを形作り、 次世代へ継承されてゆく。
劇作家•つかこうへい氏の死後、「北区つかこうへい劇団」は消滅。そこから、「地元•北区(東京都)に密着した演劇を続けたい!」の想いの下、旧メンバーの有志により結成された「北区AKTステージ」が旗揚げするまで、長い時間はかからなかった。
今作『残りモノ』の作•演出を務めたのは、「東京セレソンデラックス」で作家見習い だったスミタナオタカ氏である。
たしかにDNAは存在した。
当日は私を含め、4名の人間が観劇した。天候の影響等もあり、ある程度、観客は少ないだろうとは考えていた。
とはいっても、4名は「マジかよ!」(開場中、主宰から漏れる)の事態だった。
本編に話を移すと、「人の入れ替わり」をストーリーの歯車として活用する姿が目立った。
それは、例えば「東京セレソンデラックス」の解散公演でいうエレベーターである。
シチュエーション設定はアパートの一間だったので、上下に動く鋼鉄の箱は今回、玄関へ変わった。
親方が主人公(若者)の部屋を出たら、「立ち替わり」に友人2人が部屋を訪ねる。
これは不思議な現象ではないか。
逆の言い方をすれば、リアリズムから大きく離れている。それがセレソン流のコメディなら問題ないが、どうも『残りモノ』は違うらしく、出来すぎた話の展開だった。
一人暮らしの青年が住む社宅は、漫画雑誌やペットボトル、わずかの小物で再現しえるのがいい。「儚さ」みたいなものを演出する最終兵器だ。