役者を生かす、「NYレディの実態」
「おかしな二人」は高層ビルから見下ろす乗用車くらい、…というのは大袈裟であるが、数多くの劇団が上演してきた“名作•ストリートコメディ”だ。
今回、劇団民藝から枝分かれした劇団銅鑼のアトリエで行われる公演は「女性版」である。
私が 感心を持たざるをえなかったのは、オレンジーブラックーレッドの壁で形作られる「ニューヨーク•マンション」
そのスタイリッシュな大人の世界で、5人の女性がテーブルを囲み、ゲームを興じる場面から「おかしな二人」は始まった。
非常に下品である。
生温かいコークを「プシュッ」と開けて、腐ったサンドウィッチを下品な口に入れる女性たち。
大きな展開は なかったが、これこそ「ニューヨークの日常」を演出するセット•小物•動き である。
『SEX AND THE CITY』などの米国ドラマを鑑賞し目を肥やした日本人において、「ニューヨークの日常」を違和感なく観客の目に映し出させ、「おかしな二人」の関係性へ視点を移動させる努力だろう。
オープニングで観客を引き込み、本題のストーリーを 自然に解釈させる、劇団銅鑼からの「優しさ」と受け取った。
本題のストーリーについても、わずかばかり触れたい。
旦那に離婚を付けつけられ、女友達のマンションで共同生活することになったのが「おかしな二人」の片方=フローレンス(福井 夏紀)である。
その、自分の耳を思い切り引っ張るアクションや、強烈な ふくれっ面は 今作でも 最も笑いを奪った。
美人と称される女性が変顔をするから笑いは起きるのであって、必ずしも そうではない女性が 変顔をしたところで「具合悪いの?」と心配されるだけだろう。
あるフランスの著名な演出家が「若い女性がお爺さんを演じるから、演劇は 面白いのです」と語っていた ことを思い出す。
だが、ストリート•プレイは 役者の素養を演出家が捉えた上、それを舞台に生かす「非•演劇性」も また必要なのだ。
私は、生かされた側の福井夏紀 演じたフローレンスと、上階に暮らすスペイン人兄弟との噛み合わない会話を絶賛したい。
兄弟が 教師のように「船員が船酔い するから港に着くのです」というスペインの名言を紹介しても、フローレンスは首を横へ振り、「意味が解らない」の文字を顔に書く。
スペイン人兄弟は米国へ やってきて3年目で、英語は ほぼ話せぬ。
だから噛み合わない会話を繰り返すのだが、「日本語」を使っているので観客は 両者を理解できる。
スペイン語や英語の単語を織り交ぜるため、よりリアリティが増す。
「観客が優位に立つ舞台」、それも劇団銅鑼より贈られた 「優しさ」の残暑見舞い だ。
スペイン人兄弟の兄役マノロを演じたのは鈴木啓司 だった。
彼は劇団銅鑼の「センポ•スギハァラ」「絡まる法則」どで主演、準主演を務めてきた、同劇団若手俳優の代名詞といってもよい人物だ。
「スペイン人」になりきるのは さぞかし難しかっただろう。持ち前のチリ毛で乗り切った。
そうか、彼はチリ毛だからスペイン人に抜擢されたのかもしれない。
演出家の「非 演劇性」は 止まらない。
しかし、パズルをつなぎ合わせる 「面白さ」である。