さよなら日本-瞑想のまま眠りたい- 公演情報 さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    身体と映像に世界を編み上げて
    映像との融合ということであれば、
    これまでにもいろんな試みがあったと思うけれど、
    文字や色、さらには映像が
    ここまで生きて役者達とともに世界を組み上げていくのは
    はじめてみました。

    なにせ映像や画像ですから、
    当然役者と異なる印象や切っ先があって、
    でも、それらのパフォーマンスに抗うのではなく、
    むしろそれらと細微に呼吸をあわせニュアンスを作り物語を広げていく、
    ロールの不思議な実存感にがっつりと捉えられてしまいました。

    ネタバレBOX

    映像を取り込んでのお芝居ということであれば、
    前回公演でも試みがあって、
    すでに、そのときに、壁面に映し出されるものが、
    物語を切り出し、エッジを与えていくことに
    驚いたのですが、
    今回は、そこから更に一歩どころではなく、
    一足跳びに何段もの表現の進化があって・・・。

    色があって、それは場のトーンを醸し出す。
    その場は役者達によって編まれ、
    ツートンに色がそめらると、
    人物の想いもふたつの質感を撚るように編まれていく。

    文字は、場の雰囲気に硬質な感触を与える。
    それが会話として現れると、
    役者達の想いのふくらみが際立ち、
    情景として使われると(たとえば「朝」という文字が群で場を包むと)
    それは、観る側にとってステロタイプな肌触りとなり、
    そこに、この表現だからこそのロールの感触が映える。

    風景にロールたちが置かれ、
    役者たちの影が風景に実存感を与え、
    只のロールではなく、風景から切り出されたロールが
    観る側の印象となって存在する。
    役者達の身体が紡ぎだすニュアンスが、
    映像にとっての影となり、
    風景と、そのロールの想いと、場のなかでの座標のようなものが
    その際立ちの中にひとつの立体感として訪れて息を呑む。

    さらに、文字や映像にパフォーマンスが生まれて。
    そこにマージする役者たちの身体や醸される想いの感覚が、
    新たな動感とともに、
    観る側の既存の感覚の縛めを解きいて。

    もし、役者達が素舞台・素明かりの状態で演じたとすると、
    もっと生々しく実体を伴った感覚として訪れるであろうものが、
    映像とともにあると、
    不要な混沌や曖昧さが削がれ、
    鋭利に研がれた肌触りが生まれ、
    一方で削がれたり丸められたからこそ現れる感覚を伴って
    観る側につたわってくる。
    視座やフォーカスを、
    素で見えるものとは異なる位置に定められたような感覚もあって、、
    ルーズなつながりや、やわらかく不可避に訪れる感情や、
    流れる時間の肌触りが
    常ならぬ、でも奇異ということではなく、
    観る側に不思議に寄り添った
    ナチュラルな感覚の新たな表情として刻まれていくのです。

    その視座やフォーカスだから見えるもの、
    たとえば、
    ミミズの世界にしても、
    「あ」の喪失やおおきな「あ」の存在にしても、
    平面的なものが立体となり、
    立体的な感覚が平面の風景に収まることも
    その視座だと馴染み
    シーンたちがルーズに繋がることも、
    普通に過ごす時間ではロジックの如く平板に感じられる風貌が
    この世界では別の感覚に落とし込まれ、
    その新たな立体感に凌駕されてしまう。

    また、表現の手法もさることながら、
    様々な印象のひとつずつが塊としてではなく、
    糸の如くなって舞台に細微に編み上げてられていくことで
    さらに訪れる感触や広がりもあって。
    それは、舞台にあるがごとくにあるものでありながら、
    これまでに感じたことのないものとして織り上がって。
    息を呑みつつ、
    でも、力むわけでもなく、
    刹那から外れて思索を巡らせるわけでもなく、
    「こんな感覚が生まれ、世界が見えた・・・」と
    素直に驚き、とても自然な感覚で浸潤されたことでした。

    作り手の、この進化の先には何が生まれてくるのかが、
    とても楽しみ。
    焦ることなく、でも、期待を込めて、
    わくわくしていようと思います。
  • 僕の知っている現実日本
    すごくよかった
    いたかった
    つらかった
    こわかった
    どうしようもなかった
    なにもできなかった
    この作品を思い返すといま自分のしていることを見つめることになる
    だから23歳のニートがパソコンで文字を打ってるのを見つめながら思い返している
    そしてそれのちっぽけさと側にあるチョコベビーのちっぽけさはどちらがより密度の高いちっぽけになれるのだろうと
    ちっぽけってなんだ?
    ちってなんだ?
    ってなんだ?
    ぽってなんだ?
    けってなんだ?
    ?が?として威勢良く立っている
    ?の下の点だけ赤色に染めるようクリックして
    おもいのほか赤くなって焼けて燃えて国立市ごと消滅して
    ただ跡が残る
    残された跡の上から服を着て
    今日も眠るまでいきる

  • 満足度★★★★

    恐れ入ったぜ、山本卓卓!
    極めてオーソドックスな会場の設えとほぼ十八畳間だけのシンプルな装置からは想像し得ないモノローグとダイアログ、それに光と影の共演。「あんなカタチ」で劇空間を切り分け、「あんなモノ」と役者を対話させるとは恐れ入る。
    さらに対話にとどまらず「共演」までさせたり、プロジェクションマッピング風だったり、だまし絵ならぬだまし芝居な見せ方もする発想には脱帽。
    恐れ入ったぜ、山本卓卓!
    ところであれも「照明効果」の範疇に入るワケ?(笑)

  • 満足度★★★

    いろんな融合
    畳のステージで視覚、聴覚から不思議な印象でしたが
    始まってからもかなり不思議空間でした。

    ネタバレBOX

    コンテンポラリーダンスのような動きと演技の融合
    プロジェクターの文字と演技の融合
    色んな情報を頭にインプットしながら観る。

    1点のビデオ屋の店長
    その点数をつけているバイト
    「あ」を無くしたビデオ屋店長の妻
    動画の男、動画の男の彼女
    「あ」を拾って可愛がる女、ミミズ ・・・

    それぞれが交差しつつ交わらないような。

    役者さんはとても好みで良かったのだけど
    話が自分の中にストンと落ちて来ない感じがどうにもこうにもムズムズ感が残りました。

    マリちゃんが歌うところの映像とか歌とか洗濯物とか
    あそこはPVを見てるみたいで好きでした。



  • 満足度★★★

    実験的
    この手法をとるには役者の高い身体能力が不可欠でしょう。永島敬三、中林舞はさすが!

  • 満足度★★★★

    映像と身体と音声
    上演時間90分。映像と身体のコラボで表現。ダンサーでもある役者がそろったことで芯の通った身体表現となっていた。核心に迫りすぎない作品で、今後何かの拍子にああこのことか、と思い出しそう。

  • 満足度★★★★

    この手法は…
    レンタルビデオ屋の店長、そこのバイトですぐに呪いをかける女、店長の妻、ビデオ屋を利用する同棲中の男と女、その女の友人、そして、みみず。不思議な登場人物が、全編プロジェクタで投影される映像・色・言葉と芝居をする、という独特の手法で作られている。前作でも使ったらしいが、それは観てないので、新鮮に感じた。俳優同士が絡む部分は少なく、映像を巧く使って、場面によっては美しく、あるいは、奇妙な味わいを出しているとは思う。とにかく不思議な気分になったのは確か(^_^;)。

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