期待度♪♪♪♪♪
おかしい
日本の裁判は、アメリカが背景に居ると総ておかしい。今更、伊達判決を惹き合いに出すまでもないが、砂川事件以降、それは顕著である。最近では、これだけ多くの国民が、再稼働に反対し、原発は無くとも電力が足りた実績を積みながら、尚揉める原発訴訟然り、小沢の陸山会事件然り、それもそのはず、日米地位協定の方が、実質、日本憲法より上位に位置づけられているからである。日本国は、米軍基地を通ったアメリカ人の出入国に関して正確な情報を一切持っていない。このことが何を意味するか? CIAのエ-ジェントであろうが、犯罪者であろうが、「在日米軍、軍属など」であれば実際、日本に出入り自由。CIAの画策が世界で最も成功しているは、当然と言わねばならない。出入国管理法案で縛られるのは、国に帰れば命を狙われる危険のあるような人も多いのが事実だが、アメリカ以外の国であれば、日本は国内法で非常な対応を取る。原発は、一旦、大事故を起こしてしまえば、ヒトのみならず、生きとし生けるもの総ての命を損ないかねない危険で制御不能の技術である。そして、やっていることと言えば湯を沸かすことだ。そんなことだけなら、もっと安全な方法がいくらでもある。そんなことの為に、裁判をするなど、本来、愚の骨頂である。何となれば、命こそ、宝だからである。沖縄の言葉で言えば”ぬちど宝”だ。こんな基本的なことが分からないなら、裁判などいらない。天秤が聞いて呆れる。そこの所を普通ンい極めて普通に作って欲しいものである。無論、普通であることで、エリート気取りのアホを揶揄するのだ。
日常の隣で
毎日どこかで人が人を裁いているが、ほとんどの人の日常との接点はない。
私たちの日常の隣での出来事を、非日常ではなく日常の物語として普通に観てみたいです。