満足度★★★★★
次世代演劇の台頭!
劇団イキウメの傑作『散歩する侵略者』を連想した。
初演は2005年。
ただしあれから針はすすんで、観客をスムースに感動させる夫婦の話などはなく、劇のフォームも崩れている。
鍵は自分にもツッコミを入れる自意識と、幸せな思い出のせめぎ合いか。
満足度★★★
観劇の感想です.
たぶん見に来た人の中で最高齢かもと思いながら座ってました.
お芝居の最初の歌はどういう目的なのかわかりませんでしたが、歌はわたしにはちょうどいい古さで楽しくきけました.
お芝居は正直よくわかりませんでしたが,とても練習したんだろうなと思う完成度の高さでした.台詞まわし面白かったです.熱意はとても伝わりました.
満足度★★★
不思議な感覚
ロシアの兎に誘われたのか?
次々主人公を演じる役者さんが変わったり、
複数の別の自分が思いを語ったりする演出はイイ。
展開が読めないけど、物語としてはサブでもあるし
不思議な時間を主人公と共に過ごせます。
初心者には絶対ダメ!とも思えないですね
面白がる人も居そうだし、そんな難しい感覚もない
ほんと不思議な感じです、原始の海だと思う演出も
自分的には笑えましたね
満足度★★★
なんて言えばいいんだろう
評価は出来ないけど嫌いじゃないというか。見てる間や見終わった瞬間は外れだったかなーと思いながらも帰路に着く間や他のいわゆる普通の演劇を見ているとこの演劇が思い出されてきてもう一回見たくなるようなそうでもないような感じ。そういや劇中でもこういう言い回しがよく使われてたな。瞬間瞬間ですごい印象に残るようなシーンがあって全体を通して評すと微妙な感じになってしまうんだけどなんかいい。初見じゃわからないするめ劇団かもしれない。今後が気になる劇団になったことは確か。
満足度★★
う~ん・・・
役者さん達はハイテンションで汗をかきかき大奮闘。話もなんとなくみえるのだけど、面白さのツボがどうもわからない。こういう芸風は自分にとって理解するのに時間がかかるようで。
満足度★★★★
説明不可不要
先に言ってしまうと2回寝ましたw
なのに・・見所が多かった気がする。
多分、寝たのも寝不足だとか、観るのに体力奪われたとか、
内容うんぬんでは無かった気がする。
配慮ある悪ふざけ集団が今までどんなことをしていたのか、
はたまたこれから何をしでかしてくれるのか?
『ピャー』は普通の若手劇団になるな
『ピャー』よ、君はどこへ向かおうとしているのか。
発足時からの中心メンバーの姿が消え、新たに多摩美大の演劇サークルメンバーら客演で陣を固めた。
確かに、今までが「生き方を変える強烈な演劇」だったのであり、その強烈さが抑えられても なお『ピャー』は日本の世界遺産候補である。
しかし、が、しかし、今回の舞台は、数々の前代未聞を築いてきた『ピャー』に相応しかったか。
塚本さんよ、あえて問おうじゃないの。
『ピャー』の精神世界が、防護ネットを被せられたまま、発揮できるのかいな?
1人の“わたし”が、自分を客観視するロードから抜けられない。
外国人に 米粒付けられ、巨大な生命体が襲来、 という極度な環境のために、色々な“わたし”が話す、そして殴りあう。
現代社会の、確実に存在している一部を見せつけられたぜ。ゴチャゴチャなようで、実は全体としては単一化が進行している。
プレトークでドラマトゥルク•野村政之さんの話が出ましたな。野村さんとはメールの やり取りしたことがあるが、社会の中の劇場の在り方を考えてる稀有な人だ。
宗教劇団ピャーは、社会に訴え掛けるのではなく、あるいは社会の一部を劇場に映し出すのではなく、もう、『ピャー』でいて。
二次元を一つのスペースで 演劇(や)ちゃって。
満足度★★★★★
安定感が出てきた
世界に浸蝕された体験を持つ作・演出の塚田 朋揮が、終に在る地点に達した作品と見ることができる。その地点、地平とは、所謂第八識、西洋流に言えば集合無意識である。誤解を恐れず更に平たく言えば、人々の心の奥底に在る共通項とでも言えばいいだろうか。ある種の普遍性であり、その中に総ての個を含むと同時に、個の中に普遍性を含むレベルの精神世界である。個にして遍く、遍くして個であるような在り様を指す。これ迄、5回の公演を重ねて得た作品の存在感と脈絡が、恐らく作者を救っている。無論、劇団で一緒に活動して来た、総ての関係者との関係を通して掴んだもの・ことを通して作家の世界が遍くして個的、個的にして遍き世界に達したのである。(追記後送)
満足度★★★★★
目指せ性転換
あんなにめちゃくちゃで理解に困る作品を作っておきながら、前後両方にトークコーナーを設けて解説してくれるという親切きわまりない劇団。わめき、叫び、反吐をはき、後先のことを考えずに青春のエネルギーを発散しているような作風の裏には、観念的、形而上的な面もあったりして。
満足度★★★★★
Qの波かな
今度で2~3回目かな?
そんな熱心に観てるってわけじゃないんだけど、
他の人の評価が低かったんで逆に確かめたくなって観てきた(笑
そしたら、面白かった。
ちょっと線が細いかな、とか、予定調和すぎないか、ていう気は若干したりもした。
でも、全体としてはとてもいい。
ちょっと気持ち悪いところはある。
でも、それは自分の中では決してマイナス評価には加えない。
他人だから、分からないところはもちろんあるし、それが当たり前だし、
ただ、自分は心地よさを演劇の評価にすることはない。
アフタートークの劇団員を観ていて、
以前他の係にいた新入社員(今はもう異動した
を思い出した。
その新入社員も主宰に似てちょっと線が細く
仕事が大変だったせいもあってか
心の病院に通っていたとあとで知った。
そこの係長は非常に高圧的な態度で(苦笑
今の自分の上司は非常に理解があるが、
それとは全く正反対で、
そういえば今日も上司と一緒にその人にどやされたことを思い出した(苦笑
こちらは二人で「~~です」
と対応してるのに、
その人はそれに対して机をたたきながら
「お前ら本当に~~だと思うのか?」
「いや、ですからそれはメーカーに確認しております」とこっち(苦笑
少し打合せするだけでも向こうの口調が荒いため、非常に精神的なストレスが溜まる(苦笑
自分はともかく理不尽なことで荒い口調で一方的に話される上司のことを考えるとちょっとひどいんじゃないかと思ったり(苦笑
そういう荒い口調が原因なのかはサッパリわからないが、
精神的に疲れ切った新入社員だけじゃなく
その上司には個人的なクレーマーもついたり、
「どうもトラブルメーカーなのは逆にこちらでは・・?」
と思ったりもしたり(真相は全く分からないが。ただ、一般にクレーマーと呼ばれる人もいろいろあるだろうから一概には言えないが、自分の対応した他の人が「クレーマー」と呼んだ人たちは、みな真摯に向き合えば要望に応じられなくても理解してもらえる人たちだった。運が良かっただけかも知らんが
このように社会に出ると、
学生の頃は想像もつかないこと(これはまだ可愛い方かもしれない、自分はもっといっぱいあった(苦笑
が目白押しだが、
それだからと言って自信を失う必要はないと自分は思う。
マジメで線が細い人ほど
「・・自分のせいじゃないか?」
と思ってしまうかもしれないが、
後になってみると、原因はもっと別のもので、今はただめぐり合わせが悪いだけ、とうことが多いと思う。
社会の評価を前にしてうなだれたりもするかもしれないが、
言語の経済的な価値と文化的な価値がまったく結びつかないように、
声の大きい人と小さい人の価値が結びつくわけではまったくないのだと思う。
アフタートークで主宰が、
エンゲキをやることでやっと自分も少し大きな声で話すことができるようになった、という話があったが、まさにそういうことだと思う(この話を聴いて自分はこの舞台を観にきて良かったと思った。まったく面識はないが(苦笑
じゃあリハビリ?のために作られた演劇に価値はないのか、というとそんなことはなく(ハイバイなどが良い例だと思う
社会全体が病んでいる以上、
リハビリのエンゲキにこそ大きな価値があると言えるのかもしれない。
病んでいる人ほど、自分が病んでいることに気づかない。
・・いや、気づくからこそ逆に苛立つのかもしれない。
だからと言って、
「病んでますよ」
と言っても喧嘩になるだけだ(そらそうだ(苦笑
自分はこの舞台を観て、
悩んで苦しんで、もがいて、でも、どこかで救われたい、
何を敵にしていいのか分からない、みたくじたばたする姉弟の姿を見て、
逆にこちらが健全なんじゃないかと思った。
逆に、それらをとりまく周りの人たちはどうなのかとも思った。
今の時代は、誰かを病気にしたがる。
しかし、病気にしたがる人こそ病気であることが多いと自分は感じることがある。
断言してもいい、
悩む彼らは健全だよ・・(笑
満足度★★★★
工藤理穂サンがぶっ飛んでる!!
正直、星を付けづらい・・・。
ラスト直前のボルテージ最高潮のシーンは今後、老衰死するまでずっとフラッシュバックしそうなほど美しかった(*゚▽゚*)