映像鑑賞
満足度★★★★
コロナによって映像配信なるものが実現し、初めてこの企画を目にしたのが5年前。2019年度の3月だからコロナ急性期。2月後半あたりから大手が公演を取り止め、小劇場は3月に入ってもしぶとく打っていたが4月緊急事態宣言でゼロになった。第27班・深谷氏は2019年度の最優秀賞受賞で知ったのだった(忘れていた)。翌2020年度はぽこぽこクラブ・三上氏。
ユニークな演目が並んでいたが何しろ画像音声が粗いため見るのに難渋する、その印象もあって積極的に観には行かなかったが、今回は申大樹の名もあって覗いてみた。相変わらず定点撮影で録音もシンプルだが随分と見やすくなっていた。
1演目目から順に観た。まず申演出の「野ばら」。
深海洋燈はまだ一度も観れていないが流石、金守珍の薫陶を受けた才人に違いなく、原作の小編を劇中劇風にし、日本の戦争時代の少女たちの交流をベースに、そこに登場する不思議な少女が「野ばら」を読んでいる、という構成。音楽、歌・踊りに女性教師(佐藤梟)が縦横無尽に場を席巻する笑わせ場面あったりと盛り沢山。毎回の短いポストトークではコンクールでは珍しい作り込みの美術を一様に話題にされていたが、梁山泊仕込みのトリッキーな舞台処理もそれを感じさせないスムーズさであった。
ただ、演出を離れて作品という事で言えば(作も申大樹)、現代における戦争への認識に二つの戦争悲話が届いているのか、という部分では、「戦争」の語り口が定型的に思えた。いや元がそういう作品だから、という弁もありそうだが、主人公の二人の女友達の死が最後に来る日本の戦時下の話と、いつかの時代のどこかの外国の国境に立つ二人の兵士の物語が、「戦争悲話」で括られてしまうと、物語世界が狭くなる感じがある。演出等でありきたり感を大いに解放し、見事なのではあるが、テキストのレベルで言えば、「戦争はやめるべきだ」「世界から戦争をなくすべきだ」という、犠牲者の存在の裏返しとしての反戦の論理(大島渚が前にこれを「単純正義論」と言っていた記憶がある)が如何に弱いか・・その事を戦後の日本人は見て来たのだと私は考えている。少女たちは確かに犠牲者であったが、既に一個の考えを持つ彼女らは同じく人としての責任にもさらされ、友達を殺した者=「戦争?」への恨みを持つとするならば、その矛先は自分にも向くものだろう。「はだしのゲン」のゲンらが訴える相手も見出せず虚空に向かってピカドンのせいじゃ、と言う。せいぜいがあれを落とした人間への恨みつらみを言うがそれは戦争を起こした者(日本の上層部)にも向かうが、今や存在するかも分からぬ相手に、言っている。このお話の少女も誰に向けるべきかも分からず「戦争め」と言うしか、その時は術はなかったかも知れないが、今舞台を作るにおいては当時そうであった彼女たちを、今の私たちが評するなり掬い上げるなりして、何かを付け加える必要がある。劇においてそれが何なのかは作り手の問題だが、「戦争」が悪い、のは分かっている、その先を考えなきゃ何も変わらない・・そんな一抹の思いが見ていて過ったのは確かであった。
ラストを締めくくるまでの大がかりな道筋は金守珍ばりに考えられていたが、作品性もそれに相応しく深く周到なものであってほしい・・欲を言えばの話。
他の作品についてはまた、ネタバレにでも少しずつ書いてみる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/02/25 (火) 19:00
一作目初日観てきました。
これから毎回書きます、が、初っ端から何も考えずに観て、難しいものから観てしまったと言う感想が第一。でも、これは選べない。自分の空いてるスケジュールに入れたらこうなった。
いつも思うのだけど、こういったコンクールは審査する方も、観ながら個人で自分の中で順位付ける方も順番が重要。
サッカーの試合で言えば序盤で、まだ自分のなかでの若手とか演出について今年の道筋を考えている段階で、もう答えを出せと言わんばかりの作品だった気がする。それが申大樹氏。とにかく物量勝負。ただ、演出目線で言うならだいぶリスキー。何と言っても原作が小川未明。早稲田露文というだけで、親近感が凄い。おまけに戦前の先進的なインテリ特有で、社会主義に感化されて児童教育にひかれ、その後身近の社会主義者の惨殺などでビックリして急速な国粋主義者になったりなど、見る人の視点によって戦争を体験したうえでにじみ出る純粋な反戦ファンタジーなのか、それとも時代の変遷を経たうえで児童文学の権威としての勢いを保つための小芝居で見せかけで作り物の反戦フェイスなのか、すべての作品で感じが分かれる。厳しいようだけど。コンクールでこの選定は逆に難しい。自分的に小川未明の再評価は90〜ゼロ年代。平和で牧歌的な時代。だからこそこの甘い反戦物語が新鮮に見えたのかもしれない。ただ今は嘘と欺瞞と小芝居の時代。甘いオーラを出していたら例え役所からでも安心してると買収されて町中から嘘つき呼ばわりされて町を追い出される厳しい時代(目撃した)。誰も信用出来ない。今は残念ながら甘い物語に酔ってる余裕はない。ハッキリ言って友達以外は全員嘘つきなのが普通(ヤバいまちに言ってるって言うようなもんだけど)。貧しい街ではそんなのが普通。豊かな街でも他の町から来た貧しい者が買収されて嘘つきになる。そもそも豊かな街では一番学歴の低いのが役所だったりするから、誰もそんなに信用してない。(ただ個人的な体感だと、多摩とか立川とかではそんなんないかも)小川未明の再評価され始めていたゼロ年代ならまだ世の中も多少は良かった。というわけで甘すぎるのは少し厳しい。現代は学術的な組織分析と、それを悪用する道化師たちとのいたちごっこが常に続いている。役所が率先してそんなことをする。たぶん動機は政治的。くだらない与太話は心を無にしてスルーするのが安全対策。
貧しい街では全員嘘つきだが、豊かな街では昔からの住民は嘘をつかないが、他の町から来た貧乏な人が役所に買収されて嘘をついて追い出される。信じられないが本当。豊かな街で一番学歴の低いのは公務員だから、豊かな街の豊かな人たちは公務員でも信じない。自分たちよりバカだから。今の時代の人たちに、国に言われて素直に死ぬ気持ちが理解できるのだろうか?今なら普通に裁判やデモしてるよなーと思う。そういう意味では作品全体に懐かしい明治大正な感じがあり、どうしてもレトロになってしまう。これは同時代感が少なめなのでリスク。
おまけに原作者は戦時中国粋主義者で時代を生き延びた。夢見がちで早死にするより、小芝居で生き延びた原作者の人生のほうが学ぶところは多い。残念ながら。でも作品としては素晴らしい。地方自治体から補助金を貰って、甘い夢を提示しながらこっそり原作者の人生に興味を持つきっかけを与えつつ、かつ人々に人生の潤いとは、意味とは、と深く考えさせるきっかけを与えると言う意味なら、これが劇団を生き延びさせる演出家としての答え。そういう意味では深いテーマでもある。物語は甘い一時の夢を見せる手段で、肝心なのは原作者の人生として、それを審査員に納得させることができれば優勝。ここほど批評的な口先が評価されるポイントはない。非情な話だけど、演出家の最大の仕事は政治的に無色を示して甘い夢を提示し、お上から補助金をいただいた上で役者に演技の自由度を保障するところが大きい。完全に作品を分析したうえで敢えて表現しない決断も重要。しかし人生は短い。そんなことしてたら何も表現できないまま人生は終わってしまう。難しい。
審査員たちも思い入れが大きいはず。もちろん自分も。東大と違って早稲田の露文は特に変わり者しかいないだけに、他の町から来て評価されるのかかなり難関。個人的な感想。すみません。
ちなみに最終日の批評は観ていません。すみません。どうしても時間がなくて(汗
結論から言うと、四作品すべてバラバラだった。こういうのは難しい。特に受賞作はスキルフルで、批評しやすい作品だった。これは難しい。批評家の出番の出やすい作品は評価されやすい。そして東京2作品が対称的で、インテリな感じのメルトと、少しレトロだけど物量と役者の歌などで推す申大樹氏の2作品が対称的。それだけでも東京の演劇の繁栄が見れる。こういう作品の幅は地方では少し難しい気もする。ただ、このコンクール自体気のせいか突出して勢いがなければ首都圏以外が評価されやすい気もしていたので、不利な要素もあった。
両方ともある程度形が出来ていて、今後形を変えるのか、変える必要もあるのか不明な気もするので、審査員の腕の見せどころが少ない気もする。それも不利。