見上げんな! 公演情報 見上げんな!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-2件 / 2件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★

    鑑賞日2025/04/06 (日) 12:30

    座席1階K列1番

    価格5,500円

     須崎公園に新しく建設された福岡市民ホール・中ホールの杮落とし公演。主催は福岡で結成20年を迎える万能グローブガラパゴスダイナモス&ゴジゲン。ヨーロッパ企画もちょこっと絡んでいる。
     大看板を背負わされて気負ったわけでもないだろうが、やりたいことを詰め込みすぎて、雑然とした舞台になってしまった印象。群像劇をやりたいのは分かるが、元アイドルとその家族の話は正直余計。中年バンド・ボイジャーズの再結成の物語だけで通した方がスッキリしたと思う。
     どっちつかずの物語がごちゃごちゃと展開されるせいで、前半は殆ど話が進まなかった。観客も明らかに退屈していて、中には溜息をついたりアクビをしたりってのがチラホラ。笑いも今ひとつ散発的。脚本が上がった時点で前半カットしようよって突っ込む役者かスタッフはいなかったのだろうか。
     福岡のお客さんはスタンディング・オベーションが大好きだが、福岡千秋楽にも関わらず、立ち上がる人は皆無だった。お客さんの満足度、以て知るべしだろう。

     元アイドルがバンドメンバーたちの新しい絆になる、それは問題ない。ただ、その背景になるドラマは最小限に抑えるべきだろう。『フラガール』みたいにさ、グループをまとめ上げるキャラは設定だけがあれば充分なのだ。
     元アイドルとマネージャーのやり取りを延々と見せたり、認知症の始まった父ちゃんとの交流を描いたりさ、本筋に大して絡んでこないよね? そんなことに時間を割くんじゃなくて、さっさとボイジャーズの面々のいざこざの渦中に彼女を放り込んだ方が、芝居のテンポがどれだけ上がったことか。
     今回も脚本はガラパの川口大樹だが、毎回、やりたいことを詰め込みすぎて失敗してしまう悪い癖が抜けない。ガラパの弱さは、川口大樹以外に脚本を書ける人材がいないことで、結果、どんなに脚本に違和感を覚えても、誰も異を唱えようとはしない。唯々諾々と従うしかないのだろう。
     舞台を宇宙にまで広げながら、ベースにある人間関係は、男子校のバンドOBというミニマムなものだ。このギャップが、一般観客の感情移入を阻害してしまっている。「大濠高校」って実名を出して、しかも男子校(注:現在は共学)の悲哀なんてものを語られても、そんな個人的な動機で共感を得ようとするのはどうなんだろうと首を傾げるしかない。
     彼らがグループのボーカル兼作曲家の柳に「新しい風景」を見せようと、宇宙飛行の旅に応募、見事当選するのだが、正直、ご都合主義的展開である上に、どうして宇宙にまで行かないと曲が作れんのよと白けてしまう。

     終劇後、ロビーで、お年寄りの夫婦がやっぱりため息をつきながら「若い人には面白いんだろうけどねえ」と呟いていたのを小耳に挟んだ。
     作品というものに賛否はつきものだが、地元劇団で20年頑張ってきたガラパに対しては、地元民はどうしても贔屓しがちだ。しかし本音ではもうちょっと面白くできるはずだがなあと残念に感じている観客も多いはずである。毎回、水準の作品を作ってはいるんだよ。でも悪く言えばいつも「そこそこ」。それが一般客の本音だ。
     そういう一般観客の声に耳を傾けられれば、今後の進歩も見込めないではない、と思う。
     ガラパが福岡を代表する劇団の一つであることを否定しようとは思わない。しかし今のまま「そこそこ」で終わるのか、褒め殺しにあって「ぐだぐだ」になっていくか、自覚がなければそのどちらかに陥るだろう。
     結成20年を区切りに、奮起を期待したいものなのだが。

    ネタバレBOX

     劇中、「大濠高校」の看板に点を打って「犬濠高校」にした、というエピソードは実話だろうか。ガラパのメンバーの誰かのやったことだとしたら、誰なのかを教えてもらいたい。その人のファンは辞めるから。
     軽いイタズラじゃんとかそれくらいの武勇伝なら誰にでもある、とかいうお為ごかしのご意見は勘弁して頂きたい。もしも何らかの事故が起きていたら命に関わる事態になっていた可能性だってありそうなのだ。
     フィクションの中の登場人物なら、いくら無茶をしたって構わないけれど(むしろ無茶であって欲しい)、「実名」を出されちゃうと「フィクションだから」が免罪符にはならないんだよ。
     そこんとこ、脚本の川口大樹は理解していたのかどうか。

     川口大樹には演劇が分からない、とまで断言するつもりはない。
     例えば、期限切れのクーポン券を捨てられない松尾というキャラがいる。クーポンを出して捨てろ、と言われた松尾は、渋々クーポンを、財布から、ポケットから、体中のあちこちから取り出すのである。どんだけ溜めとんねん、と突っ込みたくなるが(「手品師か!」の声がかかった)、これが舞台ならではの演出であることは、コメディ好きな演劇ファンには先刻ご承知であろう。明らかにハーポ・マルクスへのオマージュである。
     そうした秀逸なギャグがある一方、クライマックスで、宇宙に漂うメンバーの歌声を拾うために、福岡タワーのてっぺんに登ろうとする仲間たちが懸命に走る……というシークエンスを挿入したのは頂けなかった。
     『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』で、しんちゃんが東京タワーを鼻血を流しながら疾走したように、これは「映画」ならではのアイデアである。実際に走って見せなければ感動は生まれない。舞台で「走るまねごと」を見せられても、これまたシラケるだけなのだ。
     それでもやりたくって、やっても意味ないって判断を上回ってやってしまったんだろう。観客もこういう明らかな失敗シーンまで褒めてちゃ、ガラパを甘やかすことにしかならないと理解しておくべきだ。
     ダメなアイデアを思い切って捨てられないのがガラパの最大の弱点なのだから。

     今回の「やりたいのは分かるけど」ってツッコミたくなる最大のものは、メインアイデアとも言える、「宇宙の歌声を何年後かに受信する」だ。
     劇中でも、「土星軌道にある宇宙船から放たれた電波は半年経って地球に届く」って言ってるんだけど、だったら20年前、まだ火星か木星か、その辺りで遭難した宇宙船からの音声は、とっくの昔に地球に届いているはずだ。仮に歌声が地球に向かって送られていたとしても、それを集積することは初めから無理だと、メンバーのほぼ全員が気づいていたはずなのである。
     実はこの「時間差ではるか昔の歌声が届く」というのは、SF小説ではよく使われる手だ。とり・みきの短編漫画にもある。ただし、それらの作品における宇宙船は亜光速で飛ぶ未来の宇宙船で、だから光と同じ速さの音声は、何年もかけて地球に届くことになるのだ。
     つまりこれはもともとSFじゃなきゃ成立しないアイデアなのである。おかげで舞台では科学的知識が欠如した連中がバカ騒ぎをしているようにしか見えなくなっていたのだが、それでもどうしても「やりたかった」んだろうね。
     でもそれって、ガラパのメンバー全員がいささか科学に疎いことを露呈することになっちゃってるんだけど、いいのかねえ。
     話に無理が生じる、と分かったら、潔くそれを捨てる。捨てたほうがよかったよ。アイデアってのは、十のうち九は使い物にならないものだと覚悟しておくべきものだ。そうしたクズなアイデアは捨てる。捨てる「勇気」が必要だったと思う。

     あともう一つ、タイトルに関する件。
     「見上げんな!」とはまた大胆かつ豪快ではあるが、作品の内容に照らし合わせてみると、いささか腑に落ちないものを感じてしまう。どちらかというと。「見上げてごらん夜の星を」としたほうがピッタリくるからだ。宇宙に消えた友達の歌声を探すって話なんだから。
     もしかしたら川口さんは「つやつけとう」のが嫌いなのかもしれない。「つやつける」より「ダサい」。「粋」よりも「野暮」。多少、被虐願望があるような気もする。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    すごいよ!すごいよ!!
    ふたつの同じようで違うメロディラインが交互に、かつ同時に奏でられ、
    そこにはセリフという「音楽」が生まれた。
    その様子を客席でワクワクしながら見続けていたわたしがいた。

    ネタバレBOX

    ・・・やっぱり万能グローブガラパゴスの「オリジナル」は
    ただかおりだった、という発見。
    サディスティックミカバンドのオリジナルがミカさんであるように。
    そこに「何かを見失った」大人たちが「何かを取り戻す」企みを面白く、
    より面白く見せている。

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