満足度★★★★★
未来からの問いかけと再生の物語
「あの日踊りだした田中」の感想。
IEA前事務局長 田中伸男からとってきた?タナカノブオ。
この劇の主人公である。
かつて、ある研究所でこの世が滅びることを知り、それを伝えるためのビデオを撮っていた。
これが廃墟の坑道の奥でノブオの発見されたのだ、未来の町で。真実を知ってしまったノブオの行動は周りからは狂気にうつった。
2011.3.11の出来事をメタファーしながら話は未来の町で進む。
若者たちの絶望と希望を象徴するかのように常に影となるもう一人が暗示する・・・自分でいて自分でない不思議な影が・・・。
この町の砂には毒があると・・・これを新聞に載せてしまったミズキ。
良かれと思ってしたことが、逆に人を傷つけてしまうことがあるという現実の中で苦しむ。
ただし、この感覚こそが世界を救うのだが・・・・。
それでも、真実を伝えようとするミズキ。
時間軸と空間軸が交差しながら話は進む。
ミズキが伝えるのは空間としての仲間との関わり。
ノブオが伝えるのは過去からのメッセージ。
ノブオは狂気の中で真実を伝える役割を与えられ、誰もがそれを受け入れない中で、踊るしかないのだ。愛する人を救うために。
ノブオは過去からのメッセージを伝えるが、観客は未来の町の出来事から何かを伝えられる・・・・。今を生きるわれわれに、何かを伝えようとする試み。それも、正解はない問いかけ。
3.11の現実を受け止めながら、若者に希望はあるのか?が一つの問いかけかも知れない。あえて未来に設定された廃墟の出来事を通して、これから起こるであろうことを暗示する。ノブオやノブオの影である科学者に叫ばせることで、現在見えなくされている事柄に気づくよう各自に問いかける。
ノブオ、ミズキ、トモコといった未来の登場人物には名前を用い、対照的に苗字を名乗る二階堂には現在(の感覚)を代表させる。したがってタナカノブオはタナカとは呼ばれず、現在を生きる我々の中の田中を暗示する。
トモコが毒の砂がある環境の中で子どもを育てることを断念し村を出て行くとき、それは仲間と別れることでもあった。フクシマで起こっている共同体喪失の叫びを暗示する。良い悪いではなく、トモコが苦渋の中で一つの選択を行ったとき、影が消える。何かを選ぶとき何かを捨てなければならない。ここから絶望と希望の中から、一人としての歩みが始まることを暗示する。
劇画チックな設定になっているが、過去と未来を演じる中で現在を問いかける。皆が走りまわるドタバタ劇のようであって、ある種の静けさを感じる再生の物語。笑いが取れる劇ではなかったが、観客が各自の思いの中で様々なことを考えさせられる深みを持った劇であった。