満足度★★★
疲れた
実験的な作品ということをアフタートークで理解したが、観ているときはとにかく内容を読み取ろうとしていた。当然ながら結果的に徒労に終わったが、なんとも疲れた。
満足度★★★★
実験
賛否両論のある舞台だろう。意味の解体を乱数を使うような方法も用いつつやっているので、演劇に意味を求めるタイプの観客には、評判は悪かろう。然し、今迄、燐光群の上演して来た作品の系列にずっと通底する方法のマンネリ化を避ける為、或いは、そこから、一歩踏み出す為に、坂手は、このような形で箍を外したのではないか。何れにせよ、少し長い目で見た時、この作品は、彼の作品系列のターニングポイントとして記憶されるようになるかも知れない。
少なくとも、このような抽象思考に誘い、或いは、素にチャレンジしつつ、観客と相対する剃刀のような鋭さに迄、これらの断片を断片のまま、昇華できれば、更なる展開が見えてこよう。観客の自由な思考が試された作品でもあった。
満足度★★★★
普通に面白いんじゃない?
たまたま初日前日の3月18日、横浜のみなとみらいホールで大友良英さんを中心とするコンサート「出逢うことのなかったピアソラとケージのために」を聴いた。大友さんと言えば2月終わりに上演された坂手洋二演出・東京演劇アンサンブル「荷(チム)」の音楽が衝撃的に素晴らしく、示し合わせたかのようなタイミングだ。そこで演奏されたケージ作品はもはや20世紀の古典と呼べるもので、ピアソラ作品が同じように解体・再構築されても、もはや聴衆は誰も驚かない。
だから本作品が「ジョン・ケージの手法で作られた」と言われれば、完全には理解できなくても、「ああ、今回はそうきたのね」とすんなり受け入れることができる。もちろんここまで大胆に偶然性(「即興性」ではない。即興はほぼゼロとのこと)を取り入れ、徹底して「意味」を排除してくるとは思わなかったけれど、中途半端にしなかったのは良かったと思う。「意味」が露骨に見えてしまえば途端に安っぽくなりかねないが、全体を貫く美意識がとても心地よく、爽快な舞台だった。
僕がこの作品を否定的に論じるとしたら、唯一思いつくスタンスは「こんなものは(演劇に限定しなければ)20世紀にやり尽くされた手法で新鮮味に欠ける」というものだけど、(「わからない」のではなく)驚きや拒否反応を示す人が少なからずいるとすれば、それも成り立ちそうにない。坂手としては、大成功とまでは言わずとも「してやったり」というところではなかろうか。