実演鑑賞
満足度★★★★
昨年はムニューシキンの「金夢島」がやってきた。日本が舞台の新作で、佐渡に能まで振ってあったのに、世阿弥の「金島書」にまで言及した論考はなかったように思う。この佐藤信の「演劇島」は金島書に「倣う」と言って、フォーマットを取っている。ともに内容は一方は現代劇にファンタジーだし、こちらは佐藤信がこれまでに演出した作品の台詞のコラージュから構成した舞台だからともに世阿弥の作品とは遠いのだが、世阿弥の拓いた芝居作りの原点に回帰しているところがあり、しかもそれが今作られる劇として大きな効果を挙げているところが面白い。
「演劇島」のテキストは、世界各地の戯曲、演劇台本からコラージュしていて、原典の「小謡」に倣って、プロローグとエピローグに九編の短編と言う構成である。スジの枠取りにはシェイクスピアの「テンペスト」の島に流れ着いたものの流離譚が使われている。
ノーセットの舞台に男女7名づつの黒衣の演者が登場し上下に座を占めると、トップライトで四角い光の中に舞台が示され、そこに能楽師の桜間金記がすり足で登場する。台詞は謡曲になっている。この前後の部分と、ほかに二場に出る八十才を超える能楽師による能の様式性は、時に台詞は聞き取れないところがあっても(折角、テキストの原典を細々と字幕に出すのなら、ここは台詞を字幕でフォローしても良かったと思う)他の部分の全ての演劇やダンスの様式を圧倒する演劇的存在感がある。ここが本作の第一の見どころである。
九編のエピソードは、それぞれ「沈む船」とか、「王たち」「プロスペロー」とか副題が付いていて、テンペストで島に追放されたもの(桜間金記)が見る幻として、テンペストのスジを追うような、あるいは佐藤信の演劇人生を追うような形になっている。それぞれ十五分足らずで始めに登場した14名の黒テントの俳優たちとダンサー(振付)の竹屋啓子と客演の大木美奈が台詞とダンスを軸とした舞台表現で見せていく。ダンサーと黒テントの俳優ではかなりこういう舞台での表現能力に差があるが、立てるべきはたて、せりふは割ったり群読にしたりと、その処理は佐藤信お手の物で、世界演劇の世界、つまりは「演劇島」の世界に捕まってしまう。
演劇を見せるためのスジのパターンはそれほど多くないので、これで十分演じている中身は解るが、それでも世に知られているような部分(台詞も設定も)は概ね作中に置かれている部分が決まっているので、使い勝手で切り取ると、どんなに上手く構成してあっても、繰り返しのような感じになってしまう。そこを、退屈し始めると能楽師が登場するという趣向で、観客も目を覚まされ2時間、佐藤信のいつものようにスタイリッシュにきれいにまとめられた舞台を飽きずに見られた。舞台に寄せられた作者、演者、劇場、などの制作スタフの力量に会わせ、さらに劇場や興行などの環境、さらには演劇の伝統なども含めあらゆる演劇的ソースを動員して最大効果を上げているのは見事であった。ほぼ満席。
それにしても、能楽堂と座・高円寺の声の通りの差には驚いた。伝統舞台はすごいものである。