峠の我が家 公演情報 峠の我が家」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「語られることが隠しているもの」

     なにかを抱えた7人が交わすささいなやりとりから、男女の相克や夢と現実のあわいといった普遍的なテーマが浮かび上がる秀作である。

    ネタバレBOX


     行路の途中峠にあるひなびた一軒家に宿を求めやってきたのは、安藤修二(仲野太賀)と兄嫁の静子(池津祥子)である。夏季のみ旅館営業をしているため季節外れのいまはこの二人以外に客はいない。部屋の奥で家の住人や近隣の住民と談笑していた修二だったが、小用で席を立った様子はどことなく憔悴している。修二は峠を越えたところにいる兄に軍服を持っていく途中らしく、そのことで人びとからかけられた言葉に動揺したらしい。彫刻家で道場を主宰している中田代表(豊原功補)は非礼を詫びるが、珍しい訪問者に興味は尽きないようだ。中田の部下の富永次郎(新名基浩)は兵役検査に落ちたコンプレックスからか、修二の持つ軍服に執心している様子である。
     
     応接スペースで交わされる会話のなかから、少しずつ登場人物たちの背景が立ち上がってくる。この家に暮らす佐伯斗紀(二階堂ふみ)は、失踪した姉の悠子に焦がれていた正継(柄本時生)と結婚しており、悠子が飼っていたスジバという名の亀を飼っている。斗紀は甲斐甲斐しく正継を世話し、修二や中田たちにもにこやかに接するが、時折寂しそうな顔をしている。部屋の奥にいる正継の父・稔(岩松了)は中田や富永がこの家に入り浸ることを許したがために、彼らが増長する様子を斗紀や正継は忌々しく感じているようである。行き詰まった感のある斗紀は作り話を聞かせては妄想の世界に入り浸っている。玄関に飾られた熊退治の銃や時折聞こえる銃声、ヘビがスジバを狙って侵入したところを稔が杖で叩いたときにできた床の傷など、この家に刻まれた不穏さが頭をもたげはじめるなか、次第に惹かれ合う斗紀と修二だったが……

     チェーホフの『かもめ』を下敷きにしたであろう本作は、雄弁でときに理性的な登場人物たちの会話の向こう側で決して語られないことを観客に想像させる仕掛けが随所に施されている。スマートフォンはおろか電話やテレビも出てこない時代設定はいつなのか、どのような戦争が起きたのかといった、そもそもの前提を自問した観客は少なくなかっただろう。それに、いつもは屈託のない正継が時折ボールペンで亀のスジバ(ロシア語で「運命」や「宿命」を意味するとあとで知った)をつっついたり、水質検査という名目で熊よけの銃を持参して出かける様子であるとか、大量の薬品を使って抑えようとしている病もちの静子が負っていることなど、それぞれの登場人物の背景に私は幾度となく思いを馳せた。

     俳優は皆健闘しており、特にクセの強い富永を演じた新名基浩が、静子の持つ軍用水筒を取り上げ、返してほしければ軍服を着せろと、無理やりな論理で迫るところが秀逸であった。斗紀を演じた二階堂ふみによるヘビの逸話も、季節の移り変わりを入れ込んだ秀逸なセリフがやや誇張された台詞回しに合って、さながらテネシー・ウィリアムズ作品に出てくる女性のように美しくも妖しい魅力を醸し出していた。数回ある暗転前に挟まれるピアノの旋律が心地よく、人物の心情に寄り添うように微妙に変化する照明も作品に多大な貢献をしていた。詩的なセリフは奔放なイメージの飛躍を起こしていて、私を含め満場の客席にどれだけ伝わったか、作り手の意図をどれだけ汲み取れたのかは不安が残るが、味読の歓びに満ちた良作であった。

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