奴婢訓 公演情報 奴婢訓」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    濃厚寺山演劇
    THE寺山修司の濃厚な演劇世界にどっぷり浸からせてもらいました。まず舞台セットとがもう圧巻だった。あの作品がぶっつけ本番で初日を迎えたと言っていたので役者さんなどはかなりの緊張感だったと思う。やはり上手くいっていなかった部分もあったが、それは初日ということもあったので仕方が無いと思います。やっぱり万有引力だからこそ出来る舞台だと思いました。
    勉強になりました。ありがとうございます。

  • 圧巻
    初めての万有引力は、圧倒的なインパクトでもって、押し流してきました。
    逆らえない濁流に飲まれるという感覚でした!!
    生々しく、野蛮で美しい世界観が、とても好きだなあと。

  • 満足度★★★★★

    連日の寺山ワールド
    「田園に死す」と似たような演出や音楽が用いられて、寺山ワールドを堪能。
    身体を使った表現が素晴らしく美しく印象的だった。
    舞台セットが凄すぎて感動すら覚えた。

  • 満足度★★★★

    万有引力「奴婢訓」観ました。
     高さのある空間をふんだんに使い、綿密に構成されたライブショーというイメージ。
     訓練された肉体に異様な衣装、道具が絡み合い、どことも知れない世界を立ち上げる。物語が進むにつれ、複雑に入り組んだ館自体が、巨大な主人の椅子、ひいては存在しない主人の手のひらの上にも見えてきた。
     若手オーディション組を多数配し、意外と陽性なムードの中で、マッチを擦った灯りと匂いが満ちる、原始的な刺激が印象的。

  • 満足度★★★★★

    無題300(12-053)
    19:00の回。指定席、19:01場内アナウンス~19:06開演~21:10終演。本公演、観てみようかなと思っていたところ開座の方からご案内をいただいたので観劇。開座のアトリエ公演(@森下)に七生さんが出演、サイトをみますと「万有引力」は1983年旗揚げ、私が芝居らしい芝居をみたのは、1985年、江守徹さんの「キーン」が初めて、このから、なんとなく劇団の名前は知っていました...で今日まで未見。

    また、J・A・シーザーという名前は「月蝕歌劇団」で知っていて、1986年7月「帝国人形病院(@東演パラータ、演出:高取英)」を観ています。

    何日に行くか決めかねていたので、座席は「トラムシート」、なんとか腰をかけての観劇。最後列=舞台から一番遠い、のですが、舞台が一望できて、ほんの少しの「動き」でも気が付きます。最初、人形が置いてあるのかと、目を離していたら動いていた!舞台は6段くらいの高低があって、最後列より高い位置があります。

    開座の皆さんが出演していらっしゃるということなのですが、遠い&お化粧&衣装でなかなかわかりません、そんな中、岡庭さんだけはすぐわかります。

    寺山さんの作品は観たことがなく「寺山修司に愛された女優(新高さん)」を読んで、いつかは..と思ってもいました。

    などなどいろいろあって初めての観劇。

    ネタバレBOX

    大きな舞台、先月「乱歩の恋文」を最前列でみたのですが、最後列からでも大きい舞台でした。劇中、役者さんが目の前を歩いたり、巨大な「靴」が通ったり、本物のネズミも。セリフが少し聞き取りにくいところ(でも肉声とマイクを使い分けて聞きやすくはなっていました)もあったけど感覚への刺激は十二分。

    会場の両サイドには立ち見のお客さん、1列ずつ入って来て階段、1段ごとに案内されていました。「トラムシート」からみると、ちょうどすぐ先に庇があって、舞台最上段にかかってしまうので少し屈み込むようにみます。

    寺山修司さんの舞台は書物の中の写真でしかみたことはなく、三沢の記念館に行ってみたいと思いながらも未だ実現せず、ようやくの「万有引力」、これも「開座」からの案内がなかったら行ったかどうか怪しそう、座席指定のものはあまりみないので…特に、この土日の公演はなかなか決めきれず、直前の申し込みになってしまいました。

    川崎109/IMAXで「アバター(3D)」をみたときに劣らない「視的」な刺激、青い闇のなかで蠢く集団、衣装の切り替え、ヘヴィーな音楽、普通に立っていることのほうがずっと少ない者たち、用途がわからないイロイロな道具やマシーン、縦/横の大きな動き、座席に迫り来る集団、次はもっと前で。
  • 満足度★★★★★

    溢れるダークなイメージたち
    「舞踏」な感じの登場人物と演出。
    舞台の上には一定の緊張があり、どこを切り取っても暗黒で美しい「画」となる。
    それは無間地獄のような。

    ネタバレBOX

    スウィフトの『奴婢訓』に宮沢賢治のあれこれをぐいぐい押し付けてなすりつけたような作品。

    つまり、主人がいない屋敷で、召使いたちが、それぞれ主人になりすまし、召使いがやってはいけないことを実践し、させるという「不道徳」なところに、「雨ニモマケズ」の賢治がやってくるという、皮肉の上に皮肉を被せてあったと言っていいだろう。

    全体は18パートから成り、各パートごとに「やってはいけないこと」を披瀝する。
    その様は、グロテスクでダーク。
    とは言え、ちょっとしたユーモアもそこにはある。
    ま、ユーモアもグロテスクとダークの裏打ちがされているのだが。

    テーマになっているであろう「リーダー不在」や台詞にもあった「リーダーがいないことの不幸よりも、リーダーを必要としている不幸」に関して言えば、「本当のリーダー(主人)」ではない者たちが何人入れ替わっても、堂々巡りで悪ふざけにしかならず、無間地獄の様相を呈することになるということ。
    それは、(ちょっと直截すぎるのだが)コロコロと短期間に首相が替わるどこかの国を見ているようであり、本当のリーダーがいないところは、よそから見るとこんなに酷いということだ。
    つまり、その国では、リーダーは本物ではなく、その資格を持たないものが「なりすましている」ということになろう。

    舞台は、高さのあるゴツゴツしたセットで、何だかわからない機械が点在する。
    その高さと、客席にまではみ出してくる登場人物たちにより、会場全体が舞台世界に取り込まれていく。
    存在感のあるセットをうまく活用し、自分でお尻を叩いたり、座席が上下にくるくると回ったりと、機能としては意味のない不気味な機械たちを駆使する。

    そこに白塗り半裸だったり、頭をそり上げていたりという状態で、凝った衣装を纏った登場人物たちが「画」になるような形で揃う。
    ちよっとしたシーンであっても、後方ではきちんと別の演技を続けていたりすることで、舞台の上には一定の緊張があり、とても美しいのだ。

    頭をそり上げ半裸に白塗りという姿は、舞踏を彷彿とさせ、確かに動きも、舞踏それに似る。
    こういう言い方は失礼かもしれないが、舞踏の身体を持つ人たち(つまり舞踏の世界の人たち)が、同じ演技をしたとすれば、さらに強いイメージがそこにあったのではないか、と思ってしまった。

    しかし、演劇の身体であることで、できることがあるのも確かだ。

    台詞は一部聞き取りにくかったのだが、それよりも、舞台から届く強いイメージを楽しんだというところだ。

    音楽は、基本、生演奏で、客入れから鳴っており、舞台の上にも徐々に人々が現れていく。

    生演奏というライブ感が素晴らしく、舞台のイメージと相まって、18楽章からなる音楽の、まるでイメージPVを観ているような感覚すらあった。
    イメージPVというたとえは的を射ていないとは自分でも思うのだが、そだけ音楽に強さと主張、そして存在感を感じたということでもある。

    めくるめく悪夢な感じと、会場を見事に使い切った舞台はとても素晴らしいものであった。

    ダリア役の旺なつきさんの発声と歌はさすが!
    存在感たっぷり。

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