実演鑑賞
災害(津波)のイメージと日常の断片が交錯する。
白塗りの登場人物たちが演じるシーンに、潮来らしき女性を通して台詞(声)が与えられるという形式は、確かに「生」でもなく「死」でもない、狭間の世界を思わせる。
幕開き直前から舞台に一列に並んで観客の動きをトレースする遊びも、思えば、ささやかな生活の記憶を伝えるものなのかもしれない。波の表象はもちろんだが、そうした仕草、表現にも妙味があった。
都市に暮らす女性の孤独や同性愛カップルの妊娠など、現代社会に生きる多様な個人に目を向ける一方で、演じられるドラマはやや典型にすぎるようにも思える。とはいえ、この形式で、物語を複雑化するのも難しいはず。ならば「典型」をより意識的にやりきったうえで、巧みに抜け出す面白さを見たいという気もする。
実演鑑賞
たまに見るこりっち配信番組に、何と本多劇場グループの支配人(今は二代目)が呼ばれていたのだが、その時チラッと台湾の劇場との交流に触れていたのが、こちら概要を見て漸くその時のアレだと気づいた。早速予約。
交流は枠組みでありとんな舞台が来日するのかは未知数だったが、舞踏ベースの身体表現と、詩的台詞の朗読、点描のようなシーンで構成されていた。字幕を読む必要があり、台湾語(福建語?)の意味伝達のスピードは日本語より速いらしく追いつかない事が多かったが、詩的台詞の範疇なので流れに任せて観た。
実は不眠でもあり、やはり「追いつかなかった」結果に終わった。トークで分かった事は、日本人武道家とのコラボであった事、モチーフは恐山のイタコであった事(潮来はチョウライでなく本当にイタコと読ませていたのか..)。
イメージとして波があり、その先には津波がある。失われた命に思いを及ばせる時間が、意図されているのか、どうなのか。女性二人の対話(ないしはそれぞれの独白)が、人間ドラマの断片として挿入されているが、同性愛の当事者が、観念上の障害を乗り越え、夢(具体的な展望なのか、儚い夢なのか、相手は実は死んでいるのか、不明)を語り合って終幕となる。最後の台詞は一方が「あと、、子供部屋」「子供部屋?」と返して、小さな笑い(そして同意)である。私には十分劇を閉じるに値する台詞であったが、そこに至るにはもっとドラマ要素の比重を大きくし、象徴的なシーン作りは部分的にとどめた方がよかった。国を超えた舞台製作の難しさがあるだろうが、模索を続けてほしい。
実演鑑賞
満足度★
んー想像してた身体表現の舞踏ではなかった
勝手に身体表現で見せる公演と想像して見たものだから
こんなに意味不明の言葉攻めに遭遇するとは思わなかった
レズビアン、ホモセクシャル等へのメッセージなのか不明ですけれど
台湾ではどうか分かりませんが
見た人が再度劇場に足を運ぶとは思えなかったなぁ
台湾版の流山児ってところが近いかもしれない
唯一良かったのは猫のみーちゃんところだった