円盤に乗る派 『仮想的な失調』 公演情報 円盤に乗る派 『仮想的な失調』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    始めて見る舞台に予習をしていかない観客も失礼とは思うが、上演側はあまり予習を望んでもいないらしく、劇場ビラには小さい字で短く能の原作のあらすじが数行印刷されているだけである。無愛想な劇場ビラを見ていると、隅っこに「幽霊、自我の喪失、顔の見えない誰かの欲望・・すべてが仮想的な時代における、物語の失調」と上演意図のようなコピーが刷られていた。
    能狂言や歌舞伎の現代化上演ではその意味や手法が舞台でも、パンフレットでも概ね詳しく解説されるのが普通なのだが、何という簡素さ。時間になると、溶暗して舞台は始まる。謡や囃子はなく、よく選択されてはいるが日常の衣装と、日常会話の台詞で物語が進む。BGMにはよくわからないが電子楽器のリズムが反復して流れている。ほぼ何もないような舞台に俳優が登場して90分ほどの上演時間の前半は「名取川」による作品、休憩10分後の後半は「船弁慶」の現代ドラマとしての上演である。こちらは予習していないから仔細は解らないが、名取川は、旅に出る兄弟を送る宴会を開いて別れを惜しんだ、と言う話、船弁慶は女性関係がこじれたまま、関係者がドライブした、と言う話らしい。後半の船弁慶にはベニヤ板にヘッドランプをつけただけの乗用車も登場し、そこでの道行きもある。何しろ、名取川では旅に残していく飼い犬が本役で人間のママ、犬として演じ、抱擁もすれば、大詰めはその犬の別れを惜しむ踊り(と言っても、犬だから単純な振付なを繰り返すだけなのだが)だし、「船弁慶」では雨の中のドライブの途中で恨みを持つ知盛が現われるところは、薄暗い舞台の隅に恨みを持つレインコート姿の女性が観客を背に現われることになる。
    全体に、非常にスタイリッシュでよく整理されていて、見る方も何度か見てコツを飲み込めば、面白く見られると思う。民族が伝えてきた芸能に込めた言葉にしにくい日常の心情のようなものがそのままナマっぽくすくい取られていて、そこは、現代風に説明する現代化とは違う良さがあった。劇場の帰途、ふと、コロナ禍のさなかで急死して、弔いにも行けなかった若い仕事仲間のことを思い出したのは時期がお彼岸だったと言うことばかりではない。
    例年開催される池袋の東京芸術祭の一環で本拠となる東京芸術劇場の地下の劇場での上演で、若者も男女取り混ぜほぼ満席だった。祭りのイベントとしては上演後「感想会」も開かれる由だが、感想を共有する舞台ではなイだろう。しかし、共有しないと落ち着かないというのも現代病、失調ではある。

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