松竹花形歌舞伎 公演情報 松竹花形歌舞伎」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    名台詞で偲ぶ
    ※日本青年館は16日のみの公演だったのですが、登録の際、16日とすると、公演期間が16日から25日という表示になってしまうので、1日から25日とせざるえませんでした。「松竹花形歌舞伎」は11月1日から25日までの秋季巡業公演なので。

    中村獅童は、丹下左膳、一心太助、と、叔父の初代中村錦之助の当たり役を演じてきた。『瞼の母』の番場の忠太郎もそのひとつ。

    戦後の映画スターの中で、錦之助はもっとも股旅物の渡世人の似合った人だと思う。映画・舞台で長谷川伸の代表作に主演し、高い評価を得た。

    錦之助は若いときと、晩年とで、忠太郎の演じ方をまったく変えていたが、私は生前最後の忠太郎をもっとも高く評価する。
    ラストシーンは一種悟りのような境地に立っていたと思う。

    若い獅童が忠太郎をどう演じるか、という興味とともに、また、あの名台詞を聴きたいという思いで、チケットを購入した。

    当日は、招待券の赤いハンコが押されたチケットを手にした団体客が長蛇の列で、動員の大変さがしのばれた。開演中も私語がやまなかった。

    『瞼の母』は新国劇の十八番であり、歌舞伎ではない。歌舞伎の巡業演目としてふさわしいかは大いに疑問だが、松竹としては、座頭を任せて、成長させようとの親心なのだろう。

    直近では現勘三郎の忠太郎を初役で観ているが、お母さん子で有名な獅童の「母恋」の演技に期待した。

    ネタバレBOX

    演出を歌舞伎調にする必要があったせいか、見得を切ると渡世人にしてはやや立派で、硬い感じがした。

    錦之助は渡世人らしく「おくんなさい」を「おくんなハい」と発音し、それが非常に色気があって私は好きだったが、獅童は普通に「おくんなさい」と発音し、一か所だけ、「おくんなハい」と発音していたのが嬉しかった。

    半次郎の沢村宗之助に、東映時代の沢村訥升(のちの宗十郎)の面差しが重なった。宗之助は女形が多いので新鮮だった。

    無筆の忠太郎が半次郎の母に手をとられて手紙を書く場面や、夜鷹の老婆が何度も礼を言って去る場面など、本来はホロッとする場面で笑いが起きるので鼻白む。

    最近の客にはコントにしか見えないのだろうか。残念だ。

    片岡秀太郎のおはまは滑舌が悪く、台詞が聴き取りにくい。おはまは江戸の水になじみ、伝法な女将に収まっているが、秀太郎は上方のこってりした芸風のせいか、長谷川伸の世界とは異質に感じた。

    おはまと忠太郎とのやりとりがかみ合わぬ悲しさに普通は涙があふれる場面なのに、客はげらげら笑って観ている。

    たくまずして、秀太郎のおはまはコミカルな味わいが出てしまっているのだ。

    このくだり、獅童はよく演じているので残念だった。

    市川笑也の妹・お登世に哀切さがあり、成長を感じた。

    市川男女蔵の金五郎の憎々しさが親父さんの左団次そっくりでうまい。

    ラスト、「わざわざ骨を折って消しちまった」のセリフ回しはしみじみしとしてよかった。

    母と妹を見送って言う「いやだよ、やだやだ。誰が出て行ってやるものか」は、晩年の錦之助は駄々っ子のように明るくさらっと言ってみせたが、獅童もそれを踏襲している。
    現勘三郎は定石通り、哀愁たっぷりに演じた。

    獅童はあと10年くらいしてまた演じたら、もっと味が出てくるかもしれない。忠太郎役者としてはまだまだながら期待できる。

    長谷川伸はいつ聞いても、いい台詞を書いた人だなぁとため息が出る。

    古くは戦災孤児の涙を絞り、近くは先日の大震災で肉親を失った人たちにも通じる芝居だ。

    かく言う私も、忠太郎と同じ5歳のとき、家庭の事情で母と離れ、「瞼の母」を想ったときがあるから、この芝居はグッとくる。

    締めの「お祭り」の鳶頭の獅童は、すっきりとしていてよく踊りこんでいる。

    ここでも男女蔵の獅子舞のくだりがよかった。笑也の芸者はあでやかさがもうひとつといったところ。美しいが歌舞伎より新派の芸者に見える。






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