AKUTAGAWA 公演情報 AKUTAGAWA」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    人形劇の知らない劇団へ足を延ばしてみた。
    睡魔に襲わる。芥川龍之介の演目「4つの内3つ目が飛んだ。順番に羅生門、地獄変、?、河童」と思っていたが(パンプの極小文字に目を凝らしたが不掲載)、公園ページを見たら5演目。「竜」と「杜子春」の間熟睡したようである。
    結果物足りなさが残ってしまったが、「車」の意味が判明。演じ手が座る縦横に稼働する台(キャスター付き)により、人形の移動の滑らかさを可能にする独自の手法だ。
    座高円寺の横に広い舞台。下手側に、今回のコラボの相手だろうか、地の文と台詞を英語で喋り、舞台上部にテロップが出る。これがハードルとなり(発語から意味ニュアンスが直接に届かない)睡魔に至ったのかも。
    その演じ方も独自だ。西洋演劇をあまり知らないが、ステージには和が満ちているのに劇を主導する位置に異質があり、異文化の遭遇が狙われている、と頭で理解。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    人形浄瑠璃=文楽では頭(かしら)と右手を操る主(おも)遣い、左手を操る左遣い、足を操る足遣いの三人遣いで人形を動かす。160年前、山岸柳吉がろくろ車(前に二つ、後ろに一つの車輪が付いた箱)に腰掛けたまま、一人で操る車人形を考案。自分の足の甲の上に片足ずつ人形の足を乗せ、両手で人形を操作しつつ腰を使って自由自在に移動が可能な車人形。これの利点は一人で一体を動かせつつ舞台上を自由に動き回れる点。ずっとこの体勢は腰がきつそうだが実に面白いアイディア。現在これを受け継ぐのは五代目家元西川古柳氏。20年前、彼に師事した米国のパペット・アーティスト、トム・リー氏とのタッグで芥川龍之介に挑む。

    上手にニューヨーク在住の音楽家、辻幸生(ゆきお)氏が鎮座。太鼓尺八キーボード、インド民謡のような歌まで披露。下手には執筆中の芥川龍之介人形を操作するトム・リー氏。講談師や活弁士を思わせるウィットに富んだ口上で英語のべらんめえ口調。(正面スクリーン上部に日本語字幕が入る)。登場する何人もの車人形の声を独りで演じ分けていく。
    スクリーンに映し出される影絵アニメが秀逸で車人形の動作とシンクロ。センシティヴな心の奥底を繊細に分け入っていく光と影のあわいが観客の想像力を掻き立てる。
    『羅生門』『地獄変』『竜』『杜子春』『河童』に『歯車』のフランベ。特に『河童』をキーにしており、何処からかやって来る河童に悩まされる芥川のスケッチが数度挿まれる。影絵調の河童が紙を飛び出してスクリーンの中を動き回り、瓶の中に封じられる様は見事。古典芸能と最先端技術が違和感なく融合。結局何の技術を使っていようが受け取る側にきちんと伝わっていれさえすれば、それが正解。
    オチのない芥川龍之介節にきょとんとするが、やはり『杜子春』の美しさ。真面目に一日一日を大切に積み重ねる尊さを今更ながら感じた。架空の世界は何処までいってもやはり架空の世界。「日々のつまらない生活こそを愛せ」みたいな格言。
    ジョナサン・スウィフトのようなラディカルな『河童』にも驚いた。自殺前の代表作。これ故芥川の命日を「河童忌」と呼ぶようになったと云う。自殺する為のアリバイ作りのような。
    古典と最先端の取っ組み合いはすこぶる興味深い。車人形なんか全く知らなかっただけに衝撃。

    MVPはアフタートークの通訳の女性。これだけ優れた通訳を久方振りに見た。マジで評価されるべき才能。言語感覚がずば抜けている。

    ネタバレBOX

    何かアメリカ人から見た日本文化みたいなぬるいコラボだと思っていたら大間違い。凄く勉強になった。アフタートークでトム・リー氏が語っていた「人形というモノを通しての感情表現こそが文化言語を越えた最良の意思疎通になり得る」と云う発言が腑に落ちる。一つ間を置くことによってうまれる想像力。互いを阻害するフィルターを通してこそ互いの嘘偽りない真意が本当に伝わるのかも。

    筒井康隆の『残像に口紅を』を思い出す。時間と共に一語ずつ日本語の音(おん)が消えていく世界。五十音の内のかなりが消えてしまい、残った使える言語を手繰って何とか文章を綴ろうとする作家。その時、今までどうしても自分の手で書けなかったトラウマを綴り出す。誰にも言えなかった、どうしても書けなかったどうしようもない個人的苦しみ。もしかしたら、この不足した音の中でなら書けなかった心の傷をどうにか表現出来るのかも知れない。幼児のような辿々しい言葉の連なりで無理矢理吐き出す痛みの数々。読者は打ち震える。黒沢清にこれを映画化させたかった。

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