バスタブで遊泳するあなたへ 公演情報 バスタブで遊泳するあなたへ」の観てきた!クチコミ一覧

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  • 実演鑑賞

    約十年前にエコーで賞を獲ったものの(リーディングは別として)舞台化は困難な「人魚」が登場する(しかも複数)戯曲という事で眠っていた本作を、アトリエ公演企画の中で蘇らせたということのようである。
    テアトル・エコーも久々、幾つか気になる公演を見逃している思いから衝動的に(アトリエも見たさに)出かけた。
    「何かの生物になる」病気が流行しており、主になっちゃうのが「人魚」。風呂場のバスタブに籠るという症状の後、突如人魚になる、という経過は他の入院患者とも共通してる、といったよー分からん設定があったり急迫事態なのに何処かのどかに進むお芝居である。この人魚をパペットで表現し、舞台中央に置かれたバスタブ(的な装置)に入った役者が飛び出ると役者は操り手となりパペットがバスタブのヘリに腰かけ、人魚の下半身が披露される。
    人魚のみならず、サボテンや、竜なんてのもあり、人魚は「上半身が魚」のパターンもある。それらの患者の連れ合いや家族、そして医師、看護師も登場。
    不条理な状況に戸惑いながらも状況をある程度楽観的に受け入れている所が不条理劇であり、病気の蔓延という点ではコロナを受けての創作かと思いきや違った(パンフは後で確認)。
    不条理とは言っても、病気(現象)を納得してしまえば他はリアルな人間ドラマでもある。そこで、架空世界のお話は「整合性とドラマ性」の塩梅が肝になる(矛盾が多すぎると興ざめだが、それをフックに展開する話の面白さが凌駕すれば矛盾を解消する=七難隠す)。
    この芝居の場合、展開の突飛さにまず戸惑い、そして人魚のままで屋内を移動している点など、あまりに漫画チックで「興ざめ」要素は高かったが、徐々に物語の方が追いついてきた感。最初に取った遅れは私的には挽回まで行かないのだが、どうにか最後には拍手を送れた。

    病気の原因は「ストレス」とされている。だとすると、今回の病気が流行りだした近年特有のストレスは何か、となる。もっとも花粉症理論で、いよいよストレスは臨界点に達しこの奇病が発生するに至ったという設定も可だが、ストレスとは人間に付き物なものでもある。私的には「今ここに至って深刻化している」ストレス状況の方を、示唆されたいのが願望である。
    整合性の点では、ストレス解放のため沖縄に療養所があってそこに行けば(旅費は自分持ちだが)「発散」により治癒して(人間に戻って)帰還するケースが多いらしく、主人公夫婦も最後はそうなるのだが、同じ病院で治療中の先輩は、沖縄に行く資金がないため海を渡って沖縄へ行こうとしたが途中で全身「魚」化して海の住人となる。その理由も、その現象が暗喩しているものも、十分に説明されない放置プレイ。何か洒落を利かせた理由を出すか、現代批評があるとイイナと思った次第。
    主人公に当たるのは、妊娠して臨月を迎える妻と人魚化した夫の夫婦。夫は妻の出産に立ち会いたいため、沖縄に行こうとしないが、妻は立会いは不要に思っている。というより夫が「何もできない」後ろめたさを出産立会いによって解消しようとしているように見えて仕方ない。サボテン化した「父」は献身的に尽くして来た妻と、必ずしも両親の関係に納得していない息子が絶えず見舞っているが、父は竜にも成り、その時は意識があり、サボテン化した時は意識がなく自分がサボテンになっているということも知らない(プライドを傷つけるのが心配で妻は伝えていない)。これが最後に露呈し、意趣返しといった展開になる。上半身が魚の夫を見舞う妻と主人公の妻、他の見舞人同士も知人同士となって本音吐露タイムがあったりする。主人公夫の同郷の先輩が偶然人魚化した患者で居たが、見舞い人もなく、夫が主な会話の相手、とは言えいまいち反応が薄く淋しい思いをしていた所、サボテン父の息子はよく話を聞いてくれ満たされたりする。後半で年輩の主治医が「魚である夫に出産立会いさせるか」について検討に検討を重ねた結果、人魚化してしまう(原因はストレスだから)。そして水中出産を思いつき、それなら自分も出産を担当できるし夫も立会いが出来る・・もっともその案件は妻が破水して帝王切開となり、実現はしなかったが・・といったようなエピソードが続き、大団円。
    「病気」の流行は一時的なものであったような気配もあるが、「先輩」は魚となってたゆたっている。ストレス問題は社会からなくなったのか・・無孫そんな事は書かれていない。
    役者はよく演じよく立ち回っていた。またアトリエでの公演を企画してほしい。

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