実演鑑賞
満足度★★★★
座高円寺の広い舞台が高木の林を切り開いた山中の一角が出現し、独特の方言で見せる村の習俗や時代性(戦中から戦後)が俳優によって醸し出される。途中不可抗力的な睡魔に襲われ、明かに抜けた部分(伏線)を踏まえた言及(回収)が終盤あったのでアチャーであったが、物語叙述の部分はともかく、世界観の提示という部分では、成功していた感触である。性愛と婚姻をめぐる慣習から、逸脱した夫婦関係も女と男がゆえあって一つがいになって何の支障があるか・・・原点回帰とは「縛る」ものでなく人を自由にするもの。そのメッセージが、あるいは作者のこの作品に込めた中心的なものでは?とは想像の範囲だが、良き哉、良き哉。
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/05/26 (日) 14:00
座席1階
舞台の案内には「平家落人伝説の残る、信州・木曽の架空の村」とあった。平家落人伝説と言えば、長野県最南端、飯田市の遠山郷。急峻な山あいにへばりつくようにしてある村で、さまざまな神事が今に伝わっている。作者である大森匂子がどこの村をイメージして書いたかは不明だが、自分はこの遠山郷を連想しながら見た。
冒頭に出てくる踊りはおわら風の盆を思わせるような感じだ。旅芸人の一座で身重の女性がこの山村に捨てられ、村の名家の男が嫁として「拾って」、生まれた娘を育てる。この女性、娘、そして男の母親。3世代の女性をめぐって物語は展開する。東京の大学から学術調査に来たという男を狂言回しに、焼け野原の東京が五輪を開くまでに急成長して地方の人々を引きつける時代を表現する。さらに、東京に出るということと、信州の山深い集落に生きるということを対比させ、3世代の女の胸の内を描いていく。
演出の力量だろう。この舞台はシンプルで美しい。よく取材されている信州弁も効果的だ。山深い地域の方言のためか、信州に少し暮らした経験のある自分も何を言っているか分からないところが多々あった。しかし、この舞台はやはり、信州弁でないと美しさが表れてこない。
この舞台が信州のどの地域をモデルにしたのかは、あまり重要でないのかもしれない。「木曽路はすべて山の中」と島崎藤村は書いた。山の中で生き抜く人たちに思いをはせる、いい舞台だった。