実演鑑賞
満足度★★★★
徹底した会話劇で引き込まれ興味が尽きないが、いっぽうで難解と感じられる箇所が随所にあった。おそらく何度観ても完全に理解できないだろう。セリフ量が多く、演じる者の負担も多そう。
村雲演出と中村演出を鑑賞。両者でセリフに少なからず違いがあり、オリジナルのどの部分をどう使うかの演出家の考えが異なるからだろうか。村雲演出版では長髪のスターリンが面白い。ところどころスターリンの仕草を真似ているようだ。中村演出版ではサーゲリに女優を起用しているが、役自体を女性に置き換えているわけではなく、その意図はよくわからなかった。演出の都合により降板というのもどういうことだろう?
実演鑑賞
満足度★★★★
村雲隆一演出を拝見。全5場構成。1場はスターリン(小田伸泰)とユダヤ人俳優のサーゲリ(斉藤淳)の初対面。リア王を絡ませながら、互いにどこまで踏み込めるかの腹の探り合いという感じ。二人とも神学校出身。スターリンも威圧的でなく、あまり怖くない。そこがちょっと物足りない。
2場で二人は互いに裏切りの経験を持つことを告白する。スターリンは帝政内務省の密偵に誘われ、サーゲリはスパイとして、刑務所で危険分子のユダヤ人と同じ房に送り込まれた。サーゲリは「俺は裏切ってない、房に入ってすぐに、自分の目的を相手に伝えた」というが、スターリンは「俺は密偵だ」と。サーゲリの息子ユーリがシオニストとして取り調べを受ける。スターリンは「もう家に帰った」というが。
3場 30年代の農業集団化と大粛清を振り返る。スターリンはジノビエフ、カーメネフ、ブハーリンのライバルを出し抜いたこと、レーニンが(右手はマヒしたため)慣れない左手で書いたスターリン排斥の遺言を。うまく切り抜けたことを自慢する。サーゲリはウクライナへ赴き、みずから富農撲滅の先頭に立っていた。飢餓で1000万人が死んだ等々と、スターリンに面と向かって告発。だんだん話が核心に迫っていく。スターリンの2番目の妻は自殺した。労働者と農民の殺人者になったみずからの姿に絶望して。「一人が死ねば悲劇だが、100万人の死は統計だ」とうそぶくスターリン。チャップリンのモジリである。ユーリは拘束されたまま、父のサーゲリは会わせてもらえない。ユーリはジョイントの一味だと、スターリンは疑う。
4場(短め)戦後、フルシチョフたち「新しい人」が自分に服従しないことにいら立つスターリン。戦争。サーゲリは何百の赤軍将校を処刑したとスターリンをなじる。戦後、スターリンはユダヤ人の強制移住を提案するが、フルシチョフ達は先送りにする。「医師団陰謀事件」がおきる。新たな「敵」として反ユダヤ主義が強調されると、なぜ作者がスターリンの相手役をユダヤ人にしたかが見えてくる。ドイツ語で書いた芝居なので、当然ヒットラーを重ねたのではないか。
トルストイのように不死を目指し?放浪するスターリン。「いくつもある部屋を、次から次へと変える」といわれて、暗転ごとに、窓や机を示すセットを配置換えしていた理由が分かった。
スターリンも多くの人を殺してきたせいか、得体のしれない恐怖におびえる。人間スターリンの「良心」を想像するのが、スターリンにふさわしいのかどうか。全く後悔もしないのでは、芝居が成り立たないが、独裁者の内心の苦しみというのは安易な想像であり、通俗的な慰めになってしまうのは注意を要する。
5場は悲劇的な、しかし厳粛なラストとなる。2時間10分
勉強になる芝居であった。それにしても「若き日のスターリンは皇帝権力の二重スパイだった」(亀山郁夫)とは本当なのか。この芝居もそう書いているが、それがスターリン生存中、公に知られなかったのはなぜだろう。