雨降りのヌエ 公演情報 雨降りのヌエ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-20件 / 22件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    コトリ会議は書類選考の段階で期待値が非常に高かった。作品単体もさることながら企画のコンセプトに惹かれたのも大きい。会場となる扇町ミュージアムキューブを終日開放し、観客は好きなだけいることができるというアイデアは、「劇場」という場の本来のあり方、すなわち広場的役割を果たそうとしている。結果としてその期待値を裏切らなかったと評価できる。

    ネタバレBOX

    『雨降りのヌエ』はオムニバス作品群であり、全5作品の中から2作品ずつの上演が、期間中の日に2回ある。対象となった作品は「第夜話:縫いの鼎」で、離婚届を出そうとする夫婦を、死んだはずの兄が、離婚届に「クマさんハンコ」を押すことで妨害する話である。話の内容から分かるように、深刻な雰囲気が笑いへと転換されるユーモアの技術は秀逸である。短編でありながら不条理劇さえ想起させる。そのユーモアは俳優3人に共通しているが、特に「死んだ兄」役の若旦那家康の存在感は抜きん出ている。直前まで前説を和やかに行っていた彼が、突然「死んだ兄」としてそこにおり、無表情なのに、いや無表情だからこそ、やっていることのくだらなさが際立つ。
    感想を書いてボードに貼れる付箋が当日パンフレットと共に配られたり、壁にかけてあるコンセプトボード(絵画)が日ごと増えたりというアイデアは、劇場がただ上演作品を見るだけの場所ではないことを観客に思い出させる。私はどうしても時間が取れず、開演直前に着いて終演直後に東京に蜻蛉返りせざるを得なかったのだが、スケジュールをキャンセルしてもその場に残ろうかと思ったぐらい居心地が良かった。
    小規模でありながら劇場本来のあり方を模索する、深刻な状況でも笑える…そのような二重性を感じさせるコトリ会議の構成力と制作力は、アイデア落ちではなく、どこまでも観客思いの温かいものだった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    1か月ロングラン短編集公演。公演、トーク、展示、仕込み……行けば人がいて、なにかしら手づくりの催しがやっている。仕事終わりや休日にちょっと覗ける時間割。熱量と労力満載の、大人の文化祭のようでした。

    ネタバレBOX

    ひとつひとつの短編には、死んだ人がそこにいる不穏さがあります。けれども、軽やかな台詞による可笑しみと、心地よさも感じるのです。そうしているうちに、他の回に上演している別の短編ももっと見たくなる。そう思えるのは、個々の上演の精度の高さゆえでしょう。全編観ると書き下ろしの関連戯曲がもらえるというのも、作品世界が拡張していくようで楽しい試みでした。

    共通する家族の物語ではありますが、それぞれが独立した短編です。上演以外の周辺の企画もふくめ、すべてを網羅することが大変なのが良いなと思いました。どの上演回を見るかで短編の組み合わせが変わったり、全部見た人だけが書き下ろし戯曲をもらえるほか、1ヶ月の公演期間中に毎日更新されていく廊下のイラストなど、足を運んだタイミングによって目にうつるものが変わる。それこそ文化祭だな、と。

    どこかで紡がれている誰かの物語に、その期間だけ、扇町に行けば会える。その1か月だけ、とある家族と繋がる扉があく。ゆるやかでSFチックな時空の出現が、作風とも劇団とも合っていて、コトリ会議ならではの世界観を上演を超えて楽しみました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    2007年に結成し、現在は兵庫県を拠点に活動しながら兵庫・大阪・東京在住の6人が劇団員として参加するコトリ会議。そんなコトリ会議が「1ヶ月たっぷり公演」と銘打って、扇町ミュージアムキューブオープニングラインナップのラストを飾ったのが、本作『雨降りのヌエ』でした。

    この企画の素晴らしい、いや、もはや凄まじいところは1ヶ月の上演期間のあいだ、劇場の開館時間である10時〜22時まで劇団員の誰かしらが在館していること。つまり、作品の上演はもちろん、「来たらなにかが無料で見られる生展示」など手を替え品を替え、小劇場団体が日々劇場を、企画を動かし続けるという前代未聞の公演なのです。このことは作家や俳優、スタッフなどの作り手はもちろん、観客にとっても多くの発見を与える試みであったと感じます。
    「劇場とは観客にとってどういった場所なのか」という現状を観測し、「どういう場所になり得るのか」という可能性を模索すること。そんな前例なき追求があって初めて劇場に辿り着くことのできた観客も多くいたのではないかと思います。

    その追求は公演の形式のみならず、創作や上演の方法にも表れていました。
    本作は、1公演につき全5本中2本の短編演劇を上演。1本30分弱という上演時間のコンパクトさはさることながら、内容についてもどこからでも、何からでも気軽に観られるようにつくられています。演劇はしばしばその上演時間の長さやテーマの難解さ、チケットの高さなどから敬遠され、映画と比べられる際には「映画は演劇よりも自由に観られる」などと言われますが、本作はまさにその印象を果敢に裏切っていくような公演でした。
    それでいて、1公演観たら、他の公演も観てみたくなる、気づけばコンプリートしていたなんて観客の声も少なくありませんし、私自身もまた同じような心持ちを覚えました。私が観劇したのは第夜話と第形話だったのですが、どちらも読み切りのオムニバス小説のような感触がありつつも同モチーフを別視点から切り取った連作的な魅力も感じました。

    第夜話『縫いの鼎』、第空話『盗んだ星の声』、第形話『温温重』、第蓋話『糠漬けは、ええ』の4作の各短編は、全てのあらすじが「兄が亡くなったそうだ」から始まっている通り、「兄の死」がモチーフに。
    死んだ兄は同一人物であり、4人の弟や妹をそれぞれの話の主人公に据えながら、四種四様の二人芝居形式の会話劇を展開していきます。第糸話だけが毛色がやや異なり、ストレンジシード静岡で上演したリモート作品の改訂版。この作品が入ることによって、他4作から伝わる物語としての「作風」とはまた別の、コトリ会議という劇団の取り組みを把握することができることも意義深いパッケージだと感じました。
    (以下ネタバレBOXへ)

    ネタバレBOX

    観客が演劇をより楽しめるための工夫にも抜かりがなく、当日パンフレットに書かれた導入テキストや兄弟の相関図など物語への没入を手伝い、上演をより豊かなものにしていたと思います。
全体を観るには1作品がかぶることやチケット代などを鑑みて、複数観劇した観客やコンプリートを果たした観客に台本やオリジナルグッズをプレゼントしていたのも細やかな配慮に富んでいて、またリピート率にも一役買っていたのではないかと思います。
    俳優それぞれの個性も素晴らしく、死んだ兄を演じた若旦那家康さんの「不在」という強烈な存在感や三ヶ日晩さんと山本正典さん演じる夫婦の歪な距離感、花屋敷鴨さんの心情をダイレクトに表出した大暴れっぷり、妙に落ち着いた兄の分身として笑いを誘う原竹志さんも魅力的でした。
    1ヶ月とはいえ限られた時間の中で、「劇場空間と観劇体験をより豊かなものにするための可能性」を拡張し続けた公演であり、劇場の敷居を下げ、観劇という文化をより広く開いたものにする一つの革命であったようにも感じています。

    【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

    最後に、本作はCoRich舞台芸術まつり!2024春の準グランプリ作品でもあります。
    審査では準グランプリにするのか、制作賞するのかの議論が持ち上がったのですが、結果としては、「制作を含むチーム一丸でロングラン公演を叶えた企画力」や「作品全体が外部へと拡げたムーブメント」を評価する形で準グランプリに決定しましたことをこちらでも併せて明記させていただきます。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「待ちわびていない兄の再来」

     扇町ミュージアムキューブのオープニングラインナップとしてまるまる1ヶ月、さまざまな企画を詰め込み劇団が総力をあげて取り組んだ公演である。

    ネタバレBOX

     全4話からなる『雨降りのヌエ』は、5人きょうだいの長兄である四宮幸人が亡くなった2124年10月5日の21時に弟妹に起きた出来事を描いている。どの話にも共通して、客入れの挨拶を終えた若旦那家康が「私は死にました」と舞台に上がると物語が始まり、「兄」として物語に介在し続ける特徴がある。

    「第夜話 縫いの鼎」は4番目に生まれた次女の優香理(三ヶ日晩)と夫の壮太(山本正典)が離婚届に判を押そうとすると、横から兄がくまさん判子を押してきて妨害する様子をコミカルに描く。二人とも幸人が亡くなったことはわかっているし、その場に立ち妨害行為をしてくる点も納得済みであるというところがこの物語の奇妙な点である。優香理は幸人の葬式に行こうとしているが、急に兄思いになった彼女の異変を壮太は見逃さない。どうやら家族にとって兄は邪険の対象だったことがここで示唆される。壮太の不倫を疑う優香理は葬式に行こうとしない彼を咎め、やがて矛先は兄へと……互いの腹を探ろうとする言葉少なな問いかけの応酬と、電動ケトルで湯を沸かす音でできる間が、この夫婦の心情を台詞以上に物語っていて面白い。

     急にSF色が濃くなる「第空話 盗んだ星の声」は、火星へと旅立つ宇宙船での珍事を描く。末弟の和(吉田凪詐)と並んでの宇宙船の最低客席に寝転ぶ友人の高橋隆也(まえかつと)は、傍らにいる兄がずっと自分たちを眺めている様子を気味悪がっている。3年かかる航路の最中は冷凍冬眠が必要のようで、あらかじめ必要な薬剤を渡されたのだが、英語の取扱説明書が読めない高橋は薬剤を全て飲んでしまい体が硬直しかかりパニックに陥っている。地球に何の未練もない二人のヤケクソ、体を固めた状態で寝場所を行き来する様子は面白かったが、ちょっと元気過ぎるように見えた。

    「第蓋話 糠漬けは、ええ」は幸人のすぐ下の弟の康雄(大石丈太郎)が営む占いの館「きら星」が舞台である。息を吸うようにぬか漬けを食べる訪問者の楓智子(川端真奈)は、その臭いに子どもの頃兄から受けたトラウマティックな仕打ちを思い出した康雄に不機嫌な顔をされる。智子はやがて自分は体を乗っ取られて火星人になったことを告白し、和の火星への航路を案じる康雄を戦慄させる。いつの間にか兄の頭には宇宙人のツノが生えており、彼もまた火星人になっていたことが明かされる。今から100年後に訪れる火星人の侵略、黙示録的な未来世界がコミカルに描かれる。

     5人きょうだいの真ん中、長女の理子(花屋敷鴨)と兄の分身(原竹志)との対話「第形話 温温重」を観ると、四宮家における幸人の立ち位置がより鮮明になる。運転中の理子は幸人の分身と子どもの頃父親が起こした事故のことや、その父親の葬儀で見せた幸人の暴挙を咎める。幸人の分身はただ無表情に受け流すだけで、その様子に腹がたった理子は幸人の分身をクッションで散々に殴りつける。やがて理子はトランクのなかにある兄の遺体を県境に捨てにいこうとしているのだと告げる。かたくなな理子に対して幸人の分身がとる行動が常軌を逸してくる。いまにも泣き出しそうな理子を演じた花屋敷と、ずっと舞台上にいる若旦那同様に無表情ながら次々におかしな行動をとる原演じる兄の分身の腹のさぐりあいは見ごたえがあった。ドライブ中にサザンオールスターズの「希望の轍」がかかり、サビに入るタイミングで消音したり、扉の開け閉めや灰皿を回収する擬音を台詞で言ったりするなど、ここでも音とその間が台詞以上に雄弁である。

     本来不在であるはずの兄の幸人が常に物語の中心に位置し、死してなお弟妹たちに影響を及ぼし続けている4作を観ていて、私はサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を想起した。4人とも兄の再来を待ちわびてはいないものの、生前素行がよくなかったからむしろ亡くなってくれて嬉しいかと思いきや、いざいなくなったらその不在に苛まれている点では、ウラジーミルやエストラゴンに近い心持ちだろう。しかしいつまでもやって来ないゴドーとは異なり、可視化された兄が具体的に行動を起こしていた点が独特である。その意味では別役実の『やってきたゴドー』の展開に近いものを感じた。

     番外編の「第糸話」は楽屋落ちとSFの要素を融合させた人形劇である。消息を絶った若旦那家康を探す劇団員たちの珍道中を、映像とアテレコでリアルタイムに紡いでいく。途中に入れ込む音楽やテレビアニメのパロディなど、手数の多い遊びを好き放題やっていて面白い。

     充実した短篇公演を敢行しただけでも瞠目だが、ほかにもトークショーや公演準備の公開、過去公演のリーディングや公開デッサンなど、企画力の高さが伺える内容であった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    1ヶ月とその後の話が今日届き、私の中の雨降りのヌエが今日終わりました!
    1ヶ月足繁く劇場に通わせていただき、何かを感じたり考えたりお芝居がとても身近にある時間を過ごさせていただきました。
    場当たりやゲネプロ、劇団員さんのお芝居への向き合っている姿など普段なら見れないことが沢山見れるいい機会でした。そして本編も今回初めての観劇だったのですが、何回も観たくなるほど変化もあり面白い内容でした。次回また観れる日が楽しみです!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    1ヶ月行ける時に足を運ばせて頂きました。
    癒されました。
    僕に取ってはなるべく逃避にならない様にと思いながら、僕に取ってはシェルターの様な、心がプルプルにひたひたになる様な、行って良いかなと恐る恐るいく様な、現実と虚構の壁を作ったり無くしてくれるような、
    人々の営みを覗き見るような、今までにない位心が解放される様な、この場面を見てて良いのだろうかと考えるような、この企画は参加する座組の皆さんはどう想うのだろうと思いを馳せる様な、これを広く公開することに意義はあると思い、そしてずっと関わるスタッフさんの息づかいも感じ、1から何万も一つ一つ衛星や惑星が生まれて無くなっていく様な、宇宙がそこに在りました。
    「ヌ座敷わらしエ(勝手につけました)」苦笑
    の1人の観客としてひっそりと居らせて頂きました。

    僕にとっては、とても必要な時間だったんです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    超面白かったです…!
    脚本の笑いと文学性のバランスが絶妙ですね!
    と、考えているとコトリ会議さんの舞台は、笑いとメッセージ性を切り離していないことに気づきました。(多分)

    役者の皆様の演技も抜群でした。若旦那さんはもちろんですが、個人的には原竹志さんの演技に来るものがありました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    3/1~3/31まで毎日休まず10時〜22時まで劇場に劇団員が誰かしらいて、仕込みからバラシまで、そして上演以外にも入場無料な様々な企画盛りだくさんな公演を実施するという。
    作り手側にも観客側にも「劇場に足を運ぶ」ということを考えさせられる企画だと思った。

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    有料公演の短編のうち『第夜話』『第空話』『第形話』『第蓋話』は、いずれも”二一二四年一〇月五日二十一時”という100年後の設定だが、100年後ぽかったりそうでなかったり。
    4話ともが同じ時間の設定ということは、並行世界なのだろうか。
    パンフレットの話にあった「朝の自分とプール帰りの自分とが、まるで分身したかのように錯覚した。」ということや、『第形話』には兄の分身が出てくるので、単なる並行世界ではないのかもしれない。


    『第夜話』『第形話』の妹との話は、死んだはずの兄がそこにいたり、分身がいたりすること以外は、割と現実味がある。一方で『第空話』『第蓋話』の弟の話は”火星””宇宙人”に象徴されるSF的なコトリ会議らしさがある。
    妹に対する兄と弟に対する兄とは同じようで違うのである。
    兄はどの話にも姿を現す。
    『第夜話』では離婚する妹夫婦のところへ、兄がいて、離婚届に”くまさんはんこ”を押して邪魔する。
    『第空話』では火星に向かう宇宙船の最低客室内に弟の友達をずっと見続ける(そしてうちわで天井と壁を表現してくる)兄がいる。
    『第形話』では死んだ兄は車のトランクに入っていて、兄の分身が車の助手席に乗ってくる。唯一言葉を発する兄(でも分身だし、言葉が発せられるまではリアルに長い)
    『第蓋話』ではコトリ会議おなじみ例のアレ(宇宙人のアンテナ)を兄がつけている。


    短編5作品、いずれも2回ずつ観劇した。
    CUBE05という小さい空間であっても、上手から見るか下手から観るかで印象が変わるし、作品の組み合わせによっても印象は変わるのかもしれないし、同じ組み合わせだからこそ理解がより深まる印象もある。
    (とはいえ『第夜話』と『第空話』は2回とも同じ組み合わせで観劇したが、『第形話』と『第蓋話』は『第糸話』と組み合わせて観たのでいうほどそうでもないかもしれないが。)

    1回目見た時は割と見たままを受け止めた
    夜「ああ、離婚を止めに来てくれたのかな」
    空「火星に行くのはコトリ会議だよな」
    形「なかなか会話が始まらないコトリ会議好き」
    という平々凡々な感想だった。
    2回目の『第夜話』『第空話』の組み合わせを見てから、「もしかすると死んだ兄が、弟、妹たちを死から助けようとしているのかもしれない」となった。
    それは”火星”は死ににいく場所(死後の世界)かもしれないと感じたからだ。だから、地上にいる妹夫婦は死から守ることはできるけれど、火星に行くことにした弟を死から助ける術はないが、少しでもかなしいことのないようにしたいとここにいるのかもしれないと感じた。
    この後に『第蓋話』の1回目(正確にはこの前に、通し稽古を無料で拝見した。)で火星人のアンテナをつけた兄を見てそれが自分の中ではやっぱりそうなのかもしれないと思った。兄はやはり死んでいるのだと思った。
    弟にアンテナがつけられる前にそれに手を伸ばす(が成功しない)兄を見て、弟を死なないように守るためにきたのだと感じた。
    「おつけものが美味しくなりたい」と願う弟が、その願いを叶えるか問われ「わからない」と答えるのは大好きな兄のようにおつけものを食べたいが、その願いを叶えると死んでしまう=兄の思いに応えられないからなのかもしれない。と感じて、涙が止まらなかった。
    『第形話』でも、兄の分身が120km出ているときに助けてくれる。そして死んだ身体の兄を捨てようとしていたことを分身が引き受ける。

    兄は、弟たちも妹たちも本当は大好きで。でもそれを表立って見せる人ではなかったのかもしれない。
    そして、弟たちも妹たちもそんな兄のことが怖かったり嫌いだったりがあっても、それでもやっぱり大好きだったんじゃないか。
    そして『第形話』の死んだ兄のスマホから「俺は生きてるぞ!」と音声で流れるのは、生きている分身がいるのかもしれないし、並行世界で生きている兄がいるからなのかもしれない。

    2話観るだけでも十分に楽しめる構成にはなっているが、4話通して1作品という気持ちもある。
    この1か月たっぷり公演だからこその4編は、コトリ会議にとってもチャレンジだったと思うが良質だったと思う。

    そして短編の残り1編『第糸話』は他の4編とはまったく違う、コトリ会議の劇団力が総動員されたすさまじい、しかしそれでいてバカバカしい(褒めてる)作品だが、すべてをGet Wildとスペースコ●ラがもっていってしまうのである。
    そこもなんか潔い。それもまたコトリ会議なのである。
    このパターンのコトリ会議はコトリ会議のカラーを示す上でも大変貴重だと思う。
    定期的にやるべきである(いや、そうでもないか??)。

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    短編の公演以外の時間は、いつでも無料で劇場内に入れて何かしらの催しが観られたり、参加できたりの企画が目白押しだった。
    仕込みから上演までのスタッフワークをはじめ、公演前の打ち合わせだったりも無料で見られる。
    過去の台本や没台本を読んで、そこから必要な道具を作ったりして台本を持ちつつ上演したり、短編の上演があったり、という演劇的な企画から、劇団員がそれぞれの特技や趣味を活かして、舞台美術(「異人」と呼ばれる)をデッサンしたり、毎日絵を描いたり、麻雀をしたり。
    ゲストを呼んでのトークショーがあったり。
    平日の企画は社会人にはなかなか参加が難しく、泣く泣くあきらめたものも多い。

    吉田さんの麻雀は、ほとんど麻雀を知らない私はただただ見ているだけだったが、わけわからない言葉が飛び交ったりするのを見ながら、「麻雀は演劇。とても高度な演劇。」と感じた。

    無料企画の上演の中で拝見できた、花屋敷鴨さんの「お写真」という15分程度の作品は、とても味わい深いよい作品であるので、もっといろんな人に見てもらえる機会があればと思う。
    他の過去作も観たかった…。

    それから劇団員の生誕祭もあった。
    花屋敷さんの生誕祭には準備時間から拝見させていただいたが、当日にお題をもらって、そのお題を実現させる劇団力だったり、劇団外へのアプローチは凄まじかった。
    地方各地で様々な企画に参戦しているコトリ会議の強みを感じた。

    無料企画の中でも『ヌ野エ~ヌ家エ』という、22時閉館後~翌日10時開館まで劇場外から劇場を夜通し見守るという正気じゃない最高にバカバカしい(褒めている)企画を3月の後半に持ってくるという無謀さ。
    こんなアホな企画(褒めている)に参戦しない手はないと最後まで参戦したが、終電まではいてくれた人、朝までいた人、丑三つ時に差し入れだけ持ってきて去っていた人、丑三つ時過ぎから参戦した人、始発でやってきた劇団員等々、コトリ会議がいかに愛されているかを感じることができたし、劇団員の山本さん、若旦那さんとがっつりとお話することもでき、「演劇」の上演ではないがその延長のようなものも感じることができ、またこの体験が今後のコトリ会議に反映するのかどうかな、というところを、今後、見守っていかなくてはならないと思っている。

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    3/31最終日、バラシも終わってがらんどうな劇場にテーブルやお茶セットを用意し行われた「茶」という企画も、「もてなさないです」と書かれていながらも、過去の上演の動画を見させていただいたり、いろいろお話したり。
    でも自由に過ごしている劇団員をただ眺めていたり、最後の最後までコトリ会議という感じだった。

    「劇場に足を運ぶ」ということによって、「演劇」だけではない「観劇」だけではない何かを体感し、「演劇」の、「観劇」の秘めたる可能性というものを改めて認識できたように思う。

    コトリ会議の皆様、1か月間、本当にお疲れさまでした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    第形話 第夜話初回観劇。
    疎遠で他人な兄弟姉妹5つの短編。
    厳しかった兄が亡くなり…

    ■第形話
    遺体を車で運ぶ長女、横に兄の分身が…

    ■第夜話
    次女夫婦か離婚届に押印、すると兄の幽霊が…

    コトリ会議さんらしく心がチクチク、でも何故か優しい🥰
    そんで今回は大笑い😆
    他の3話も拝見したかったが伺えず、残念。
    とてもコトリ会議さんだなぁ、という企画で、面白かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ヌ全話見ましたんこぶ だからこそ見えた物語あり おもしろろろろカッターです 公演以外も様々な企画をしていて楽しかったぁエ

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    最初は2話だけ見るつもりだったけど、いつの間にか5話をコンプリートしてました。コトリ会議の言葉は、面白くて、いつも切ない。幕間に流れる歌も歌えるようになりました(笑)。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    公演内容が面白かったことはもちろん、舞台美術を「異人」と呼ぶことや、演劇以外にも何かしらを開催して場所に向きあい続けること、毎回同じ事を言い続けて後半にはすっかり慣れてしまって言葉とは別の意味をもってしまったような前説など。やり続ける事で生まれる儀式性?のようなものが美しいと感じた。特に前説はお葬式のお坊さんの挨拶のような、厳かさと慣れ感が合わさった独特の空気があって好きだった。
    もはやいち観客などには到底感じられない何かがそこにはあるような気がして、羨ましいような怖しいような。不思議な気持ちをもっている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初めてのコトリ会議観劇。なぜもっと早く知れなかったのか。
    そして1ヶ月公演の後半での観劇。なぜもっと早く観て5話コンプリートできなかったのか。

    言葉と言葉の絡み合い、空間のあり方、家具の重なりあい、くまのスタンプ、漬け物頬張る音、すべてが愛おしかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初旬の頃に観ました。
    目の前の光景がおかしくて反射的に笑ってしまうのだけど進むに連れ見えてくるズレのようなものになんだかいろんな感情がこみ上げてきちゃって、観終わった後には言葉に表したつもりでもなんだか足りない…てなるくらい面白かったです。
    台本を購入して読みながら振り返ると思うところが出てきて、この状態でもう一回観てみるとどうだろうとソワソワしてます。
    第糸話だけは番外編で、作品といより劇団を観たような心地になります。超全力でぶっ飛んでました。すごかった。
    本公演以外もいろんなイベントをされてて、それらも楽しかったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    コトリ会議の明かりと暗さが自分はとてもすきです。観た後で台本を読むのもすきです。歌もいつか特典にしてほしいなと思います。今回近い距離でコトリ会議を観れて好きが増しました。とてもおもしろい時間を過ごせてよかったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    行ってきた。3月31日まであそこは私の実家になった。
    私たちは兄なのかもしれない、半透明の存在になってパンフの秘密を共有する。
    好きな組み合わせで見れるところが悩ましくもあり楽しい。形話で終わった私の体験は糸話で終わったあなとは違う。
    4話見ると立体的だけれど、1話にもぎゅうぎゅうに詰まってることがかえって分かる。少しでもお時間ある人は超絶オススメです。
    無かったことにしない寂しくて大切な時間

    梅田からも歩けるのでふらっとまた寄りたい

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    壮大で微細で、温かく冷たい、遠い国のような身近なような…そういう作品群でした。
    会場の雰囲気や上演以外の時間も豊かでした。
    面白かった〜〜

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    短編作品同士のつながり。通底する世界観。ちょっとゾワッと言うかザワッとする感覚。ああコトリ会議だなぁ、と思う。どっぷりコトリの世界に浸り切れる観劇体験。最後大笑いまでさせて貰って楽しかった!

  • 実演鑑賞

    面白かったです。
    大きなところでみても、小さなところでみても、コトリ会議はコトリ会議でした。
    第形話を拝見しましたが、何から観るかで「兄」の実像の結び方が違って来るのかもと、思っています。
    公演以外のものも興味深くて、コトリさん達と一緒に会場で遊んでいる気分になるのが楽しいです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日『第空話』『第糸話』、2日目『第形話』『第夜話』観てきました。
    『第夜話』でとある事に気づいたので『第空話』『第空話』をもう一度見なければと思ってます。

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