ガラスの動物園 公演情報 ガラスの動物園」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    今年3月、山中透(ダムタイプ)+壁なき演劇センターの『ライト・オン・テネシー・ウィリアムズ』を観た。『ガラスの動物園』の再構築と作家の人生の紹介みたいな構成で非常に面白かった。それで気になった『ガラスの動物園』を到頭観ることに。
    ステージは椅子とドア枠以外、全ての舞台美術、小道具がピアノ線で天井から吊るされている。小さな動物のガラス細工がゆらゆら揺らめき光に反射して美しい。電話やレコードプレイヤー、箪笥、花瓶など全て段ボールと木片の手作り、DIY精神溢れる。吊るす為に軽量化も考えたのだろう。パイプ椅子で四方を囲む形の客席。

    会場でかかっているSEが気になった。レナード・コーエン、ニール・ヤング、エディ・ヴェダー系のアイルランド風味の楽曲、雰囲気がある。(ザ・ポーグスか)。

    主人公のトムは中山裕斗氏。金城武とショーケンを足したような感じ。
    母親のアマンダは大橋由華さん、顔立ちがのんに似ていて華がある。凄い量の台詞の大洪水。母親にしては若過ぎるが。
    姉のローラは井上公美子さん、片ちんば(脚長差)で跛を引いている。学生時代は金属の器具で脚を固定していた。負のオーラ。
    トムの仕事仲間、ジムは伊藤大輝氏。川地民夫っぽい。

    この戯曲が何度も舞台化される理由が分かった。いろんな遣り口があり、いろんな伝え方が出来る。
    今回観れたことは有り難い。また別の方法論の作品も観てみたい。役者は金の取れる面子、次作にも興味。

    ネタバレBOX

    今作はテネシー・ウィリアムズの自伝的作品で、語り手であるトムは本名のトーマスから来ている。5歳の頃、ジフテリアに罹り脚の神経が痺れる障害を患う。彼は同性愛者であり、夜中に映画を観に行くことにもそんな隠語を連想させられる。
    双子のように仲の良かった2歳上の姉ローズは統合失調症と診断され、テネシーがアイオワ大学にいる時期にロボトミー(視床と前頭葉との間の神経線維の繋がりを切断する)手術を受けさせられ廃人に。テネシーは両親を生涯許さなかった。劇作家として成功した後、ローズを最高級のサナトリウムに入れ、面倒を見た。
    父親の不在はフィクション。

    そのローズをモデルにしたローラにこんな台詞を言わせる。「“手術”を受けたと思うことにするわ。角を取ってもらって、この子もやっと普通の馬になれたと思っているでしょう。」

    多分、演出が物足りない。ローラとジムの魔法にかかったようなひとときと一転して全てが霧散する残酷な現実。ここが弱い。そして母親に罵倒されて家を出て行くトム。トムの心の奥にずっと傷付いたローラが棲みついている。何をしても何処へ行っても彼女の苦痛は晴れることがない。彼女の痛みと共に暮らしていかないといけない。もう少し互いの関係性にとって象徴的なものを差し込むべきだった。
  • 実演鑑賞

    さすが銅鑼。
    新人とはいえちゃんと俳優。ちゃんと上手い。

    開演前と休憩中にポーグスのBGM 。
    シェインの逝去をうけてのものだろうか?
    それに関係なくこのBGMを使うと決めていたのなら、偶然とはいえタイムリーなものになったなあと。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    久しぶりの「ガラスの動物園」(作:テネシー・ウィリアムズ、訳:小田島雄志)、試演会とは思えない充実ぶり。演技は迫真の表現、照明・音響といった舞台技術は効果的で物語をしっかり支えている。

    登場人物はウィングフィールド一家の3人と後半に現れる青年の4人。物語は一家の息子トムの回想として語られる。1930年代のアメリカ セントルイス、一家が住むアパートの一室が舞台。公演は、四方囲み舞台で 観る位置(場所)によって印象が異なるかも知れない。ペーパー仕様のテーブルや引出しは勿論、蓄音機や電話をピアノ(or硬鋼?)線で吊るした舞台装置。四隅が出ハケ口になっており、寝室、キッチン、玄関ドアといった別空間に繋がる。舞台と客席の間を路地として見立て、室内という閉塞とは違った広がりを感じさせる。

    試演会(新人公演)であるから、観どころは 役者の演技であろうが、各者各様 その役柄を立ち上げていた。勿論 個々人の立ち位置と性格が中心であるが、全体として観ると1930年代のアメリカの状況が垣間見えてくる。すなわち1929年のウォール街大暴落 世界恐慌を受けての不況、その閉塞・貧困に喘いでいる。その様子が家族の暮らしに色濃く反映されているような描き方。

    さて、個々人を観てみると、次のような性格等が浮き上がる。それぞれの人生観を丁寧に現わし(演じ)ており、滑舌も良い。
    ●母アマンダは大橋由華さん。過去の栄光に縛られ、現状に不満を抱いている。子供たちを自分の意に添うよう口うるさく説教する。
    ●娘 ローラは井上公美子さん。足が不自由でインフェリオリティーコンプレックスを抱き、内向的で引籠り。ガラス細工の動物コレクションを大事にしている。
    ●語り手で息子トムの中山裕斗さん。靴会社の倉庫で働いており、毎夜映画を観に出かける。惨めな人生から抜け出したいと足掻く若者。詩作が趣味。
    ●ジム・オコナーに伊藤大輝さん。トムの職場の同僚。トムが自宅へ夕食に招く。ローラがハイスクール時代に淡い恋心を抱いていた。既に婚約者がいる。

    卑小だが、気になったのは場転換(薄暗)時のこと。
    (上演時間2時間25分 途中休憩10分含む) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、銅鑼アトリエの奥にテーブル・椅子、入口近くに玄関、そして鏡、電話、蓄音機が吊るされている。天井には裸電球やガラス細工。テーブルの上にはバスケットや紙皿等があり丁寧な作り。アトリエ内(壁)は暗幕で囲い、床は黒っぽく 全体的に薄暗く電球が橙色に灯るだけ。これが休憩後には配色を変化させ…。

    先に気になることを記すが、場転換時、さらに薄暗くなるが それでも歩く姿は分かる。そんな中で、すぐ足が不自由なローラが普通に歩いて移動 いや機敏のよう。劇中ではないが、物語が始まると また跛行のような歩き方という違和感。場転換も含め公演全体の統一というか自然感がほしいところ。
    以降 追記予定

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