実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/01/19 (金)
翻訳家の心の中を読めた作品でした。今の世界情勢を反映していて、今後我々はどのような形で物事を感じていけばよいのかのヒントをもらいました。
いつも海外が舞台の作品を作っている鈴木アツトさんが、舞台を日本にしているところも面白かったです。
実演鑑賞
前半の幾つもの(恐らく重要な)場面を寝てしまった。どう感想を書くかと迷うが、、
翻訳家事情が最初に語られるのだが、異言語を逐語的に変換する事の困難は、翻訳を続けている内に気づくような真実ではなく、始めた時点で不可能だと気づく位のものだろう。そこで翻訳家の経歴についての想像が萎えてしまう。嘘っぽくなる。その他の部分でもリアリティに?が挟まる箇所がある。
それが後半になってある種の劇的な緊迫感が生じる。だが私は置いて行かれた。60歳の出版社勤務の女性に「懐いている」JKとの関係性も飲み込めずに終わったが、これを納得させる説明が伏線として語られていたのかも知れない、、とか。
架空の小国の架空の言語(文字)の美しさと、その言語で書かれた小説に魅せられ、そこに夢を見た人達がいた。それが出版界事情という壁、そしてこの小国が他国を攻撃し消滅させられたという衝撃の事実の前に挫折する。しかもかの小説家は軍事政権の攻撃を支持する声明を発したとのニュースも。
全ては闇の中にあり、鬱々とした日常は「夢の無かった」殺伐とした現実の時間へ回帰する。それはもしや彼ら(彼女ら)のもう一つの(その美と出会わなかった)人生か、あるいは出会ったがゆえに味わう喪失の残酷さか。。
ラスト、壮一帆演じる翻訳家がかの国に行こうとスーツケースを引きながら訪ねてくる。そこは定年を前にただ一つ有意義な仕事を残す事に賭けていた出版社勤務(土居裕子)が引き篭もる部屋。そこにJKも居り、真実を見ようと決意する三人の旅立ちの絵で幕が降りる。
成立したかも知れないドラマの様相を想像力で補填したが、届かないものが残る。
歌わない土居裕子の芝居を堪能できたのは収穫ではあった。勿体ない観劇になった。
実演鑑賞
満足度★★★★
「オデッサ」に引き続き言葉のドラマだ。同じ池袋の東京芸術劇場、大劇場のプレイハウスでは三谷幸喜、地下のシアターイーストでは、今年が楽しみな鈴木アツト。上がベテランの客受け狙いのコメディなら、地下はユニークな視点の現代劇だ。
こちらの素材になった言葉はグラゴニア共和国だけで話されているグラゴニア語。人口も60万と数が少なく、まだグ日辞典も日グ辞典もない。その言葉に魅せられた翻訳者(壮一帆)が小さな出版社で定年前最後の仕事にしようと熱意を燃やす編集者(土居裕子)とそれを引き継ぐ編集者(田中愛実)の応援を経て初の辞典を刊行しようとしている。この国にはこの言葉で書かれたノーベル文学賞級の女流作家の未紹介の作品もある。イメージだけで出てくるこの女流作家(岡千絵)が「みえないくに」の孤立言語の作家らしい味を出している。
翻訳者と出版社の出版契約が整ったところで戦争が起きる。グラゴニアが侵略国となって、世界の敵になったのだ。留学した翻訳者は、あのような善良な国民たちが侵略するとは信じられないというが、言葉も知られていない国のことゆえ、衆寡敵せず、国連の下でこの国はなかったことになってしまう。現代のSNS状況を張り付けた展開で、出版社も叩かれては存続も怪しいと社内論争の末、辞典の刊行も中断してしまう。
信頼できると思っていた現地の作家もあっさり侵略側に回ってしまって、その理由が不明なところなど、こういう事件にありがちの日本的空気をついている。話の展開はかなり乱暴なところもあるのだが、永井愛流の風俗模様で現在の世界情勢や、日本の国際音痴ぶりを面白くドラマ化していて、結構客も面白がってみている。1時間45分。文化庁の助成があったためか、俳優の配役も贅沢で、楽しんでみられる。文化庁が演劇に口を出すと、新国立劇場のようにむやみに金をばらまくだけで、ろくなことにならないが、助成金で演劇人たちに海外を体験させる事業は成功している。
せっかくの舞台の公演も上の劇場に比べればわずか五日ほどだし、小屋も小さく入りも七割ほどだったが、この作・演出の鈴木アツトは、頭でっかちになりがちのテーマも素材の取り方も、作劇術も、ダンスや舞台美術を芝居の中で生かす手法も新鮮で期待できる。
実演鑑賞
満足度★★★★
ケストナーやスターリンなどの評伝劇で、近年急速に頭角を現した鈴木アツト氏が、評伝劇とは違う、現代の世界と翻訳の問題に切り込んだ。日本の敵どころか「世界の敵」になった国の言葉を広める辞書を作ることは、日本国民を敵に回し、会社もつぶれるのではないか。ロシア語・ロシア文学をめぐる現在のジレンマを、架空の小国の話に置き換えて、敵とみなしたら、その国に関わる全てが否定されてしまう現代の極端な風潮を見つめ直させる。なかなか難しい課題に取り組んだ意欲作である。グラゴニアが隣国に侵攻した、というところで、舞台三方の大きな本棚が倒れて、どばーッと本が散乱する演出は、ダイナミックだった。
架空のグラゴニア語をいろいろ肉付けして、舞台に乗せたのは面白かった。日本語は、雨に関する言葉がたくさんあるが、グラゴニア語は物のにおいについての単語が豊富なのが特徴とか。「ムルケアス」ということばは、「老木の香おり」の意味で、同時に「老人の生きた時間」という意味があるとか。このマイナーな言語を学ぼうと、べてらん編集者(土居裕子)が、家じゅうの物に、グラゴニア語を買いたポストイットをつけていた、というのは「なるほど!」と思った。モノになりそうな学習法だ。
一方ストレートな議論中心で、遊びというか、芝居にゆとりがないのが残念。人物の生活と感情にもう少し厚みが欲しかった。