実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/02/24 (土) 14:00
価格7,400円
濃い時間だった。
16歳の誕生日を迎えた若者と兄、その父と母。小さなホテルを切盛りする一家のとある1日。
冒頭から感じられる危うさは揺らぎつつ形を変え、観る者の不安をあおる。100席に満たない小さな劇場で、固唾を呑んで彼らを見守る贅沢な3時間20分を堪能した。
実演鑑賞
満足度★★★★
かなりヘビーで難解と感じた。各登場人物のキャラクターが時折把握できなくなるというか、はぐらかされる感がある(16歳なのにずっと家にいるのは高校に行かなかったということ?その歳で働けよ!という話になるのか?)。不条理劇のようにストーリーが迷走するようなところもあり、とにかく素直に流れることがない。そういう作品を書いている作家なのだろう。俳優陣の演技は迫力があり、父親役の山崎氏は凄まじいとすら思えるし弟役の岡本氏はリチャード二世を思わせるような振れ幅の大きい演技で魅せる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
すげえ。3時間10分(「観たい」に書いた3時間40分は誤り)を終えた時の実感。ラーシュ・ノレーン作品でしか味わえない「人間」への深入り、これに迫った俳優(岡本健一が突出)には満腔の労いの拍手を送らねばならぬ。
「パサデナ」「終夜」は一夜(深夜)の劇であったが、今作も昼間を通過するとは言え陽光の遮蔽された家内での1日かそこらの劇。登場人物は父母と二人の兄弟(16歳の弟と何歳か上の兄)。正直な話、脚本としては難があると言える。作者が人物に光を当てる角度を後半付け加えている印象で、「説明」のためには必要だったのかも知れないが、劇的な時間の進行としてはギクシャク感がある。人物像の顕現を「謎解き」としたミステリーと見ると、次第に照準されてきた人物が、ふいに脇へズレる。作者は全てに照準を合せたかったのだろう。
だがこの家族のシチュエーションを克明に描く試みは果敢であり、人間の人格が家族との相互に影響し合って形成される側面と、生来の素質に拠る側面の区別し難しさ、責任の取りづらさ、即ち解決のし難さを浮き彫りにする。特異な人格として岡本演じるダヴィド、山崎演じる酒乱の父マッティン、那須演じる母性と女性性と冷淡さが変幻する母エーリン、堅山隼太演じる自立を模索する兄イェオリ。各々の人物の内的な一貫性が、身体感覚を通った台詞を通して体現されている(達成度はそれぞれだが)一方、家族が積み上げてきた時間の分だけ有機体として「見える」かと言えば、まだまだ、という所だろうか。(しかし家族を舞台とするノレーン作品の最大のネックであり演出・俳優にとっては超難題と言えるのではないか。だが作品はそこを要求している。)
公演終盤にどう見えているか、観てみたいが・・チケットは完売。
詳細後日。
実演鑑賞
満足度★★★
アル中の父親(山崎一)をもつ4人家族の話である。場所はデンマーク。最初は兄(樫山隼太)が弟ダヴィド(岡本健一)のセクシャリティ(女装、女性へのあこがれ?トランス?)を攻撃するところから始まり、朝、父、母(那須佐代子)も食堂におりてくる。母のしつこい咳や、食材費の工面の父の悩みと続く。父が酒で失敗したこと、施設に入っていたことが語られ、そして…父がついに隠れて酒を飲む。ここまでの過程が長い。ここから父のごまかしがおかしくて、家族同士の本気の肉弾戦になり、舞台が面白くなる。葛藤の原動力は父の酒への執着だけなのだが、その執着がとにかく半端ない。山崎一の独擅場だ。
3時間20分(15分休憩)
実演鑑賞
満足度★★★
難解。
こういう作品を心から楽しめる人こそが演劇愛好家なのだろう。自分なんかは解読しようと悶々としてしまうので楽しめはしない。だけど役者陣はヤバかった。山崎一(はじめ)氏はもうジャック・ニコルソンに見えた。今、日本で一番金の取れる役者じゃないだろうか。生の彼を目撃する為だけに足を運ぶ価値は充分にある。凄い男。もう原作なんて吹っ飛ばして全ては山崎一氏の夢だった、で良かった程。いろいろ思い返そうとしても山崎一氏しか出て来ない。記憶まで侵食されているのか!
騙されたと思って観てみて欲しい、本当だから。
岡本健一氏はキムタクに見えたり、森田剛に見えたり。今更なんだがいい役者だ。16歳の糞ガキ役で誰にも文句を付けさせない。こういう才人が客を呼び集めることで先に繋がる文化は必ずある。(この手のガチガチの作品が全公演前売り完売とは日本は演劇先進国である)。
竪山隼太(たてやまはやた)氏はやたら人気がある。常に怒り狂っている。
那須佐代子さんはいるだけで作品の格が上がる。何かもう凄いレヴェルにまで来てる。
革命前夜の雰囲気。何かの拍子でこの小劇場から、世界に向かって切り付ける新しいタイプのナイフが勃発しそうだ。それにはまだ見ぬ全く新しい価値観と全く新しい観客が必須。面白いことになりそうだ。