幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい 公演情報 幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-4件 / 4件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    作品内容は見応えあるものであったが
    客席右手側からは舞台左手側が見えず
    かなりイラついたので星数はマイナスしました

    内容は監禁に関する話で
    大学生メインのシェアハウスで
    監禁されていたと思われる女性が逃げてきて
    匿う事となり
    ハウス内の男性2名と女性1名の関係が
    徐々に崩壊してゆく話であり
    舞台美術もユニークであったが
    椅子の配置とかを
    もっとしっかりして欲しかった
    ちなみに満席ではありました

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白かったです。
    監禁は犯罪だけど、人を思う気持ちとの境界線は?どこから犯罪になるのか?等、色々考えながら観ました。
    役者さん達の熱演も素晴らしく、自分もその会話の中にいる気持ちになりました。
    ちょっと不思議な雰囲気で、観応えのある舞台で、とても良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     衝撃的であると同時に異様な美しさを感じさせる作品である。お勧め!

    ネタバレBOX

     上演の尺、120分強。板上は下手に位置をずらして衝立を置くことで袖の効果を高め一番客席に近い衝立の客席側にパネルを置いたりして男2人、女1人の戸建て家屋をシェアハウスとして用いている中での部屋割りを現し、一番客席に近い一角をクミコを護ることを決意したユキヒトの部屋ということにして、この物語の中心となる二人の暮らしが如何様な実態を為しているのかを観客に最も分かり易く伝える工夫が為されている。脚本はアマヤドリの広田淳一氏、演出が中大二劇の師岡亮氏である。
     この半年余りアパシーを患っていた我が身としては師岡氏の期待には応えられない観方をしたようであるが、取り敢えずは自分の感じたことを書かせて頂く。一軒家をシェアしている者たちを含め、登場人物は、学生時代のハンドボール部仲間(登場男性の殆ど、但し恐らく初めにクミコを監禁していた男を除く)と居酒屋のバイト仲間(主要な女子登場人物、但し監禁されていたクミコを除く)、物語を牽引してゆくのは監禁という観念である。一方、父の体調不良等もあったということはあるが、ユキヒトは司法試験合格を目指してかなり長い間勉強していたという背景があり、監禁と主張するカズユキに対しては、クミコの自由意志を一切束縛していないので監禁という罪には当たらないと反論したりするが、これは犯罪を構成する要件として無罪を主張し得る根拠となるように思われる。こういった細部が今作をより真に迫った作品にしている。
     一方、クミコが本当は何を求め、また何を為そうとしているのか? については今作のタイトルも含めかなり穿った解釈ができるように思う。
     実際、今作でクミコの抱えている問題やそのような問題を抱えるに至った仔細については殆ど記述が無い。同時に上演時間の殆どを通じて描かれるのはクミコがシェアハウスに来てからの殆ど何もせず、締め切った部屋の窓際に一日中居て外出することも殆ど皆無であること、時折最初に彼女を監禁していた男から掛かってくる電話とその内容とが、今作に絶えず緊張感を与え続け、観客の心にも疑心暗鬼を常駐させる脚本の上手さ。ラスト寸前に明かされそうになるクミコの秘密は、結局最後迄その告白の真偽を含め明かされることが無く、彼女はふらりと来た時に履いていた汚れたスニーカーを履きユキヒトの携帯を持ち去り代わりに自分が使っていた古い携帯を置いていったこと。その携帯に最初に彼女を監禁していた男から電話が掛かって来、現在彼女は最初監禁した男の下に居るらしいことなどが示唆されるが、この結末らしからぬ結末を観るに至って改めて今作の底に脈打っている相互不信の根深さに慄然とするのである。この相互不信は最早、ヒトが自らをアイデンティファイする為に通常通ってくる自分の類的存在としての同類他者、即ち他人を己の鏡として観察し、比較し己を知ってアイデンティティーの基礎を為すような“信”そのものが最早成立し得ないまでに崩壊してしまったかのように思われたことだ。彼女の個的体験に殺人という経緯がホントにあったとしてそれが彼女に与えた影響が実は何であり、広田氏が何故このようなタイトルを付けたのか? タイトル自体がアイロニカルに用いられているのではないか? 等々、観て衝撃的な作品であると同様に様々な感興を催させる作品である。
     作品中で極めて気に入ったシーンは、クミコが味噌汁の話をするシーンであるが、このシーンに或いは解の一端があるかもしれぬ。というのは、このシーンにクミコのアンヴィヴァレンツが凝縮されていると感じるからであり、掛かるが故に彼女の不可解な行動に説明がつきそうな感じも持てるからであるが、この悲痛が同時に極めて美しくも感じられたからである。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「崩壊していく共同生活と『監禁の連鎖』を巡る濃厚な密室劇。狂っていく隣人を誰も止められない現代の恐怖をじっくりとあぶり出す」という説明に興味を持ったが、その芯となるところを十分に表出できたのだろうか。何となく中途半端なようで物足りなさがあった。
    今 この作品を上演する意味は、そしてアマヤドリ(脚本:広田淳一氏)がいうところの<現代日本>が見えてくるのか。
    (上演時間2時間 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、会場を斜めに使用し、奥上部にスクリーン、その下にソファ。変形机(テーブル)、色違いの空間(衝立壁・床)をもって個々人の部屋を表す。何となくスタイリッシュな印象だ。

    冒頭と最後は人が直線的に交差する動き、それは大都会 東京における人々の忙しく動き回る様子を表しているのか。続いて登場人物全員によるダンスパフォーマンスは何を表現しているのだろうか?意地悪な見方をすれば、上演前のウォーミングアップ、最後の同じようなパフォーマンスはクールダウンのよう。仮に役者紹介であるならば、役名を表すモノがほしい。パフォーマンスがなければ、スッーと大都会(雰囲気)の物語へ入って行けた。

    キーワードは【監禁/密室劇】さらに【孤独】が加えられるのでは。
    小田ユキヒト、星野カズユキ、仁村ヒトミの三人は、都内で一軒家を借りてルームシェアをしている。星野がある日、長期監禁から逃亡してきたという女、三谷クミコを保護する。星野から彼女を警察に連れて行くよう頼まれた小田は、何となく自分でクミコを守ることを決意し偏愛していく。そうして始まった奇妙な4人暮らしは段々と歪みを見せはじめ…… というのが大筋。小田は、司法試験を諦めて会社員(正社員)として働く。星野は小田の中学時代のハンドボール部の先輩 で、今は居酒屋でバイト。ヒトミも同じ居酒屋で働いており同僚にあたる。他の登場人物との相関関係も、このハンドボール部と居酒屋繋がりである。

    初演は2009年…当時は新型インフルの感染が拡大し、経済的にも厳しい状況下(世界同時不況)にあったと思う。全く同じとは言わないが、今のコロナ感染拡大、物価上昇による経済停滞は似たような環境に思える。コロナ禍を例にとれば、ソーシャルディスタンスという名の下に没対人関係の中で、中学時代の部活仲間が出合い飲食する。その楽しい会話と自由な雰囲気を満喫する。一方、監禁は孤独と不自由を強いる。犯罪か愛の束縛かは微妙なところだが、息苦しさを覚えるのでは。
    この二つの場面の意味合いが融合し、自由と不自由といった対比が一つの見所だと思う。が、この演出では別々の(分離した)物語と言うか、取って付けたかのよう。だからこそ、飲み会⇨三人の激論という展開に妙がある。
    非日常どころではない監禁とその連鎖の異常性が迫ってこない。また多くの人がいる東京の中で、一人ぐらい行方不明(監禁)になっても という漠然とした不安が感じられないのが憾み。

    小田のクミコに対する束縛は「新たな監禁」 の始まりで 、当然、星野とヒトミとの間に軋轢が生じる。二人と狂気していく小田の激情した口論がもう一つの見所。
    小田にしてみれば自分が守らなければ、という使命感=偏愛を何故二人は分かってくれないのか。司法試験を受験していたという理論家、しかし理性という扉に隠された心の奥に潜む本性〈束縛欲〉が剥き出しになる。一方、二人にしてみれば得体の知れないクミコを保護する必要性はなく=警察に任せればという相容れない不毛な議論。そしてクミコの携帯電話に掛かってくる前の監禁者との緊迫した会話。今にも小田たちの家に来そうな怖さ。
    監禁と密室というシーンは観応えがあった。勿論クミコの内にある思いは明かされることなく、彼女の背景等も謎を残したまま、小田たちの家を出る。

    辛口になるが、映画館で偶然に会った中学時代の部活仲間との会話、その後の居酒屋での会話、どちらも一本調子で 大声を張り上げた演技。小田・星野・ヒトミの三人での激論も大声だが、こちらは激高している様子が伝わる。大声=熱演ではないと思うので、場面毎の情感にあった演技が求められる。ラストのピアノは印象付けとして実に効果的であった。
    次回公演も楽しみにしております。

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