満足度★★★
これは…
これはほんとに芝居なのかリアクションに困る。芝居要素と合唱要素がうまくミックスされていた。まさに、「芝居」の枠をぶっこわした作品なのではないだろうか。
合唱
純粋に面白かった。
最初の出だしで、あまりに速くてついていけないって、思ったけど、その速さが心地よくなって、また聴きたいってなって。
この世界の虜になった。
そして照明が綺麗だった。
主張しすぎず、世界を作り上げてくれて。
大好きな照明だった。
満足度★★★★
ずっと、見ていた
縁と機会にめぐまれて観劇。
音楽と、脚本の持っている、機微をすくいあげる構造の力から、よいものにならないわけがなかったけれど、リーディングというスタイルでそれがどういうふうに見えてくるのか、当日パンフレットで23名が役柄を割り振られているのを見てもぴんときていなかった。
俳優陣は、みんな白いシャツ、黒のスカートあるいはパンツスタイルで、胸には役柄をあらわすニットアクセサリをつけて入場。手にもった台本を、ときどき丸めて望遠鏡みたいに目に当てる演出が、とてもチャーミング。
台詞と役柄の1:1の関係を崩してもなお、台本の縦糸と横糸がしっかり見えて、わ、これリーディングでもいけるんだ、と素直に感動。
ラップの台詞って今までどういう働きをするのかよくわかってなかったけど、個と音高を払って、否応なしに進行する台詞が感情をさらうことを、人数が多くなったことで強く実感することができた。声を頼りに立ち上がるドラマから、世界観が立脚するところの普遍性を見て思ったのは「うますぎない」脚本には「日常生活のイデア」みたいなものが閉じこめられているのかも、ということ。
初演のフォークダンスもよかったけど、全員でのユニゾンが大きな群唱となって響く空間は、ちょっとほかでは味わえないものだったな。
北九州でオーディションをして決められたという俳優さんがたは皆、それぞれこの地に自分の生活をもっているのが透けて見えて、それがまたとてもよかった。それが地域で俳優をあつめるということの、大きな魅力だと思う。
演奏していた柴さん御自身も、たのしそうにしながら、常にしっかり舞台を見つめていた。冷静な演出家の目を持っているからこそ、こういう音楽のちからを正しく使った芝居が作れるのだと思う。
わたし、客席でいちばんないてしまっていた自信が、あるなあ。
満足度★★★
演出の勝利
今回は今まで私が観た(数少ない)リーディング作品のなかでも成功例だと思う。
普通のリーディングではなく、「合唱」としたところがその勝因の大きな要素だったろう。
8つの役をパート分けし、1人~4人の役者によって演じられる。
当然初演では1役1人だった。
1つの役を数人で演じることにより、個性の分散化・平均化が行われたように感じた。
1人の役者が演じては、どんなに上手い役者だろうと、やはり観客によってはしっくりこないことがある。
それが、複数になる事で、観客は役者の中で好きな部分を取捨選択できる。若しくは、自分の身近な人を想像しそこに当てはめることができる。
観客は、役者のいいとこ取りをして楽しめるのだ。
この作品は、もともとの台本のつくりが上手いため、誰が演じても見られるものになっている。
ラップとしてセリフを喋るのではなく、「歌う」ことで、役者の上手い下手にこだわる必要がなくなるのだ。
初演版を映像で見た時も思ったが、役者が下手でも面白いのだ。
そして、題材も上手い。
誰もが昔の自分を思いおこせる「家庭」というワード、そして、広大な宇宙の中の地球を擬人化し、広い宇宙の中の孤独を重ねる。
しかし、不満がないわけではない。
その最たるものは、仕方がないこととはいえ、練習不足によるものだ。
このリーディング自体が、限られた練習時間でどう表現するか、というものではあるが、作品が面白かっただけに、もっといい役者が使えたならどんなに面白くなったかと思わずにいられない。
また、リーディングになった事で、初演版にあった感動が失われたところもやはりある。
それは主に役者の動きだったと思う。
実際のところは、効果的な動きをつけるまでの時間がとれなかったというところかも、と思うが。
それから、後半で役者たちがリズムに乗り歌うところで、思い思いに楽しく歌って見えたが、それぞれの目線の計算が成されていたら素晴らしいものになったのではなかろうかと思う。各々別の方向を見ながら、それでいて全体ではひとつのものをあらわしている、というような。
最近気づいたことではあるが、この視線の計算をしていない演出は多いような気がする。
動き方、しゃべり方は演出しても、視線や他のもっと大きな計算がされている舞台はほとんどない。
計算という言葉を嫌う人もいるようだが、計算された機能美というのもひとつの芸術だろうと思う。
話が逸れたが、先ほど書いたように、初演版も今回も役者に上手い人はいなかった。
もしかしたらそれは演出家がわざとやったのかも知れない。
これを見ると、もっと面白いバージョンが見たい。と思ってしまうのだ。
それに、逆説的ではあるが、いびつな人間の方が「合唱」という形式をとる上では正解なのかもしれない。
実は今回の舞台を見ている間、どうしても1人の役者さんばかり見てしまっていた。
他の人を見てもいつのまにか彼女で目が止まってしまう。
彼女は舞台上で自然な笑顔で自然な喋りで、ただ1人舞台上で生きている人間だと思わせた。
だが、ごく普通、平均としか映らない彼女が、自然だということで却って浮いて見えた。(後でパンフを見てみたら、彼女はナイロン100℃に所属していた。)
だがこれも演出の術中だという気がする。
芝居の最中から、面白いと思いながら何かが違うと違和感を感じていた。
そのモヤモヤはまだ解決出来ていないのだが、多分これは物足りなさなのだろうと思う。
芸術劇場で今度本公演があるそうなので、その時に正体を確かめようと思う。
満足度★★★★
良かった
「リーディングセッション」で「合唱交響曲」ってもうそれだけでおもしろそう。
舞台装置もわかりやすく「合唱」。ああもうわくわく。
音楽と声に出して本を読むこと(しかも大勢で!)と、
それだけでこんなに楽しいものになるんだなあ。
自分の葬式がこんな風ならうれしいなあ、と思いながら観ました。
観ながらリズムに乗ってからだが揺れてしまっていたのだけど、
周りのお客さんはそんなことないようで、
乗りたいのに乗り切れない、歯がゆい思いをしました。
観劇中に客席でゆらゆら揺れてる人間は迷惑ですかね?
そんなもやもやしながらだったので、
はっとして涙が出そうになったセリフがあったのにそこで素直に泣けなかった。心残り。
でもやっぱり泣いてた方もいらしたようで、
ああ私も泣けばよかった。