ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所 公演情報 ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 20101023
    。・`ω´・)ノ

  • 満足度★★★★★

    「眠り」×「コラージュ」="ドラマ"
    宮沢氏の言葉から「メタ」で「前衛」的で分り難い作品なのかな、と
    思ってたら、結構考えさせられたり、思わぬところで笑わせられたり
    集中して観ることが出来た、面白い作品でした。

    宮沢氏のエッセイに出てくる、真面目な感じの中ふと放りこまれる
    笑える言葉。 アレが好きな人は結構ツボじゃないかと思います。

    ネタバレは、「大いに混乱していますが、それによって読み手が
    集中出来ることもある」と信じてます。 書いている私自身は(苦笑

    ネタバレBOX

    私は基本的に「メタ」「セカイ系」という言葉って大嫌いなんです。
    どうでもいいこと、分り易いことをワザと小難しくて針小棒大に語るので
    いっつもアホくせーと思ってきたわけだけど。

    遊園地再生事業団の、ゼロ年代(この言葉も嫌いですが)を突き抜けての
    「ジャパニーズ・スリーピング」は確かにその匂いも感じつつも、どこか
    開けて、前向きで、「メタ」「セカイ系」の持つ子供っぽさ、独りよがりさとは
    凄く遠い作品のように思えた。 それがまず嬉しかったです。

    パンフレットの、野田氏との対談を読むと

    「物語」―無邪気に「感動」「メッセージ」「サービス」の集合

    が量産されることに深い危惧を感じているようですね。
    正直、すごく共感しました。 

    「物語」には力があると、よく言われる。
    実は、私は本当にそうなの? とずっと前から考えることが多かった。
    「整理され」「分り易くされ」「山があって谷があって」、そして最後は
    「余韻を残して終わる」。  

    そんな、演劇に限らない、全エンタメに共通する、期待を裏切らない
    感情を揺さぶってくれる、そんな「文法」に辟易しててどっかでそれを
    裏切ってくれないかな、と思ってました。 誰かに。 

    本作品は、序盤に登場人物によって解説されるように、
    一定の流れに沿わない、混乱した構成を持っている。

    人々へのインタビュー、眠りをめぐる数々のエピソード、古今東西の
    書物からの眠りについての部分の抜粋…

    それらはコラージュされ、バラバラにつなぎあわされた構成のまま、
    観客の前にぶつけられる。 時々、語られる内容が「眠り」なのか
    「現実に起こったこと」なのか。

    語りが何度も繰返される中、境界線が徐々に分らなくなってきたところに、
    今度は本当の(私たちがまさに実際に日常で体験している)「現実」が
    呟きのように、でも生々しく入り込んでくる。 その光景は何というのか…

    「演劇」を真面目に考え続けた結果、それを飛び越えて「現代アート」の
    領域にまで越境してしまった感じ。 あの舞台美術も目にしてまず
    脳裏に浮かんだのは、その印象。 

    観ながら、この「ジャパニーズ・スリーピング」を世界で上演した場合、
    観衆はどういう反応を取るのだろう、と考えていました。

    「アメリカン・スリーピング」になるのだろうか? 「チャイニーズ・
    スリーピング」になるのだろうか? いや、なれるのだろうか?
    その一点に興味が俄然わきましたね。 

    また同時に序盤で言われるように「一定の法則にしたがって
    流れる「物語」を排することで、改めて人々は俳優に、ドラマに
    集中する事が出来る」。 次に何が起きるか分からない。
    そのスリリングさに一番人は刺激を受けるのです。

    この作品の台詞はよく耳を傾けていると分かるけど、
    ちゃんと計算されて丁寧に練られて書かれていると思います。
    だから、言葉がすうっとはいっていくし、印象に残り易い。

    皆が一種の気持ちよさをこの作品に感じるのは、何よりも
    「音楽的」だからではないでしょうか。 冷たいけど、どこか
    透明な印象を与える、水の中のような舞台美術も、

    恐ろしく程に緩急付いて、自分をコントロールし切っている、
    空間と一体化している俳優達も、

    全て調和がとれていて一定で、耳障りなところ、ノイズが入るところが
    一か所も無い。 これは、私よりも、年間数十~百本演劇を観て、
    映画を観て、その声高っぷりに一種鬱陶しさを感じる人の方が
    共感すると、私は確信しています。

    ヘンな感情移入を避けるために、意図的に切り刻まれているだけで
    そうすることで観客は台詞に、言葉に集中し、かえってそのことに
    気が付くのではないでしょうか?

    宮沢氏の名著「演劇は道具だ」(2006)に、「ただ立っていることの強さ」に
    言及している箇所があります。 曰く、

    「ただ立っていることで、あなたは裸にされ、その強さも弱さもたちどころに
    見透かされる」
    「その時、触れれば立ちどころに崩れ落ちてしまうからだではいけない。
    強いからだをもたなくてはいけない」

    本当にそうだと思う。 そして、「ジャパニーズ・スリーピング」は。

    弱いからだ―「物語」にもたれかからない、強度の強い「drama」(決して
    playではない)と感じました。

    最後に。

    笑いを入れるところが絶妙ですね。 張り詰めたところに、牛尾千聖が
    バスタオル何枚も重ねて~とぶっ飛び出した時には思わず笑った。
    牛尾千聖良いなあ、やついの、無視されキャラっぷりも大いに笑う(笑

    眠れないことに悩み続ける三人組が脳内物質を見つけにどっか
    行っちゃうエピソードもウケた。 「何処へ行くんだ?」「メラトニンを
    見つけに!!!」「そっか…頑張れよ(やけに晴れやか)」 見つかるのかよ(笑

    あと、女性陣が妙に官能的でした。 というか、過ぎでした。

    最前列で観ていたので田中夢が後ろのスクリーンにドアップで
    映写された時、本当にどうしようかと思った。 山村麻由美の、
    静謐な佇まいも、負けず劣らずなんかエロティックでした。

    役者の立ち位置が皆ホントに良い。 ピタリとはまりこみ過ぎて
    この人は、もうこの役しかあり得ない、と思えてくるのが、宮沢さん
    凄いと言わざるを得ないです。

    来年も、遊園地再生事業団で本公演あるらしいので、大いに
    期待したいところです。
  • 満足度★★★★

    オリュウノオバ
    待ちに待った遊園地再生事業団。やはり好きな世界です。どこがどうこういうより全体の舞台構成が好きなのかな?自分ではわからないけど目のやり場に右往左往しながらたんたんと繰り返される眠りについての語り。千年も昔から千年の後も人間を見つづけているもの。お釈迦様の手のひらに転がされ生活している私。なぜ眠る必要があるのだろうか?もしかしたら今現在眠りながらタイピングしているのかもしれない。

  • 満足度★★★★

    そうか、これは睡眠障害だったのか
    と、いうのは極々個人的な感想。

    舞台で行われていたのは、「ネムリへの旅」。
    夢なのか、まどろみなのか、起きているのか、混沌の中に入り込んでいく。

    ネタバレBOX

    爆音から始まるものの、劇中で流れる音楽は、環境音楽のごとく、ゆるやかなもの。
    それは、まるで眠りに誘うよう。

    「眠ることができない」男たちが「取材」をするという形式で、物語は進行する。
    舞台は、「ネムリへの旅」でもある。

    「寝る」「眠る」こととは一体どんなことなのだろうという素朴な疑問を「眠ることができる人」「寝ている人」に問い掛ける。
    その疑問は、「眠ることができなくなってしまった」ことが高じてしまったことに端を発する。

    例えば、長い昼寝をしてしまったり、頭は疲れているのに身体がそのレベルに達していないことで起こる「不眠」のときには、いろいろなことが布団の中で頭をよぎる。
    それが病のレベルまで達してしまったときには、「そもそも[眠る]ということとはなんぞや」にまで及んでしまう。

    そこに達した男たちは、ひたすら「眠り」について追い求める。
    「世界でいちばん眠い場所」とは? と。

    しかし、それは、寝つけないときに、まるで手品でシルクハットから次々と万国旗が出てくるように、記憶を次々とたぐりよせるような感じとなり、記憶の前後も曖昧であやふやになってくる。
    劇中では「chapter」の順番が曖昧になっている。

    彼らの「取材」はビデオによって行われており、それが舞台の大画面に映し出される。
    しかし、それは画像になった途端に、答えから遠ざかっていまうこともあり得る。タイムラグで表現されたりもする。

    眠ることのできない男たちの目から見えている世界は、取材される側の世界との隔たりがある。

    「眠る」という行為がその2つを薄いベールで隔てているのだ。

    いつも眠っている男が言うシェイクスピアの引用のような台詞。「オレ起きているよね、寝ている? それとも死んでいるのか?」。

    夢なのか、起きているのか、死んでいるのか、誰が? 誰と誰が? 次第に混沌としてくる。薄いベールで隔てられていたように見えていたのだが、そのベールのどちら側に誰がいるのかも判然としなくなってくる。答えを本当に求めているのかどうかも不明になる。
    まるで、まどろみの中のよう。

    誰も「起きて」とは言ってくれない。永遠のまどろみ。
    外に向かっているのではなく、内に向かっていく
    それは、パンフレットの写真にあるように、森の中へと手探りで進む姿である。


    映像の使い方が巧みで、重なるchapterが、ストーリー的なものを浮かび上がらせていく構造になっているわけではなく、ひたすら、ベールを重ねていく。
    それによって得るモノと失うモノがあると思うのだが、あえてこの方法を選び、それをすっきりとした形にして見せてくれた手腕には驚かされた
    全編、豊かなイマジネーションが溢れ出していた。まるで遊びのように。

    個人的なことだが、パンフによると宮沢章夫さんは、睡眠障害だと言う。それって、今の私とまったく同じ症状だ。てっきり加齢によるものかと思っていたのだが、ええ! これって睡眠障害だったのか! と少し驚く。
  • チャプター
    順に見たらどうなるんでしょう。

    あーーーパンフレットを買い忘れた事が
    悔やまれます。

  • 満足度★★★★

    宮沢章夫さんの三年振りの新作舞台
    シャープで洗練された空間。意識ははっきりしてるのに、眠っているような感覚が新鮮で、豊かな演劇体験ができました。役者さんはみんな自立していてかっこ良かった。お好みは分かれる作品だと思います。

このページのQRコードです。

拡大