満足度★★★
純愛
内容がかなり興味あったので期待大で見に行かせて頂きました。
記憶喪失の男性を取り巻く場面と、ゴーギャンの絵を買わされる場面(兄弟)との繋がりが弱いかなぁと思いました。
テーマがでか過ぎか盛り込み過ぎかで、数時間の舞台に収まりきらなかったのかなぁとも感じました。
記憶喪失の男性にはもっとどん底を見て欲しかったです。。
でも、泣きながら見ました。
当たり前だと思っても、どうしても出来ないことがある。それは自分の意思とは関係なしに。本当は誰だってそうしたいのに…。泣き叫ぶジュンに泣かされました。
満足度★★★★
新しい視点
交通事故で記憶喪失になった男が、今迄の人生をリセットされた状態から、まっさらな視点で世界を見つめ直す。
そこに、ゴーギャンの名作を背景とした「運命」についてのCODEを絡めて行く。
今回の作品には、過去のアテンションプリーズ作品と比較しても、新しい視点・アイデアが沢山盛り込まれている。
・キャットウォーク迄も使った3次元的舞台構成。
・病院と怪しい画廊、基本的に2つのシーンを基軸に同時並行的に描いて行く構成。
・前作「マイハマ・バイス」にも導入していたダンサーが、今回は感情表現(嬉しいという気持ち等)や、状況表現(星の輝き等)に使用されていて、面白いと思ったし、効果的だった。
ストーリーにメッセージ性が強い所が、今迄の作品との違いでもある。
その分「マイハマ・バイス」に比べるとクールな印象で、泣かせる演出は弱いかもしれない。
とは言え、AIと元愛人が対峙するシーンには目頭が熱くなった。
こういう演出はいつも上手いと感心した。
2つのシーンがパラレルで描かれるため、最初はちょっと忙しいが、話が進むにつれ、どんどん引き込まれて行く。
新しい視点で面白く感動的な作品になっていると思う。
満足度★★★
改訂版での再演を熱望
交通事故により全退行性記憶喪失(だったっけ?)となった男と画廊でゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか」のレプリカを200万円で買うことになる男の話を同時併行的に描くのは悪くないが、その2つの関連がなかなかわからないのがちょっともどかしく、まとまりに欠ける感無きにしも非ず。
とはいえ、かつては家庭もかえりみないビジネスあるいは利益至上主義だった男が、言葉さえ失った状態から知識をつけてゆくのにしたがって無垢な気持ち・考え方となり感ずる疑問を通して利益重視の現代社会に対して警鐘を鳴らし批判する狙いやよし。ちょっとディッケンズの「クリスマス・キャロル」を連想したりもして。
そこに文明社会からタヒチへと活動拠点を移したゴーギャンの生き方も重ね合わせているのが巧い。
さらに、癌で亡くなる患者や記憶喪失の男の妻の出産など「生命賛歌」的なモノも加味されて、このテに弱いんだよなぁ…。
また、門奈理沙・美玲・五宝(漢字表記は推定)など、絵画や画家の名を人物名に使っているのにニヤリ。(ちなみに記憶喪失の男と妻の名は「純」と「愛」)
ただ、前述のまとまりに欠ける感に加えて病院内(病室を含む)で携帯を使うナースがちょっと引っかかったので、いつか改訂版での再演を熱望!
満足度★★★
美しい構図、ゴーギャンのような作品
いやいや、見事に浄化されている作品である。
前半、居心地の悪さが非常に感じられる内容が続くせいか
後半の、畳み掛けるような構図と台詞のやりとりは、
とても見ごたえがある。
なんとなく感じつつも、理解できなかった付線や
少人数ながらも奥行きを感じさせられる人間相関図が
きっちりと描かれ、
うっとうしい3人の女ダンサーを除けば
よく出来た作品と思います。
ただ、小劇場という制約の中での表現では、よく出来ていると思うけど、
この話を、もっときっちり描くには、映像のほうがいいんじゃないかって
思いました。
説明文ほど、小難しい内容でもなく、
エンターテイメント性もあります。
表現次第では、紀伊国屋レベルにはいくのでは。