罪~ある温泉旅館の一夜~【作・演出 蓬莱竜太】 公演情報 罪~ある温泉旅館の一夜~【作・演出 蓬莱竜太】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
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  • 満足度★★

    ねじれを、あやしむ
     きれいな舞台美術、役者さんの力量、そしてそつのない戯曲、演出。その向こうになにが見えたのか、じっくり振り返ってみる。

    ネタバレBOX

     父、母、知的障害のある兄、妹。とある温泉地での家族旅行。妹が「結婚するのやめる」と言い出すのをきっかけに、長い間、兄の障害のきっかけとなった高熱について、心にしまわれてきたひとりひとりの罪の意識、お互いを責める気持ちが、しだいしだいにぶちまけられる。

     蓬莱竜太は、観客の気持ちとのやりとりがとっても上手。なにげない風景から始めて、家族の状況、みんなの心の葛藤を、幻想的なイメージを挿入しながら徐々に徐々に見せていく。こちらがどう思うか、次に何を知りたいのか、常に一歩先を読んで、タイミングよく提示してくれる。一方的に見せつける感じじゃなくて、交渉するみたいな緊張感。気持ち良いな、と思う。

     じっくりと心の暗さを追求する物語だけど、「なんだって、みんな責任をとりたがるんだ。今日に限って。温泉地で」というせりふに笑いも生まれる。抑制の効いた演出、存在感のある役者さんたちの演技、積み木のおもちゃみたいな幻想的な舞台美術も相まって、バランスのとれた、感じのよい舞台にみえる。「闇があるから難しい、それでも家族は生活し続ける」というメッセージも、みんなに通じるものだ。

     でも、なんだかこの舞台、どこかに僕はねじれを感じる。描いているものが、とってもとっても小さいものに思えてならない。「家族の闇」という、誰もが抱える永遠の大きなテーマを描いていながら、普遍的な世界につながらない。それはどこかに、そつなく計算された作為があるからなんじゃないかと、僕は感じる。

     例えば「知的障害の兄」は、この家族の闇をあぶり出すために用意された「設定」みたいなんだけど、この「障害」という設定は、「闇」を大きなものに見せる、誰にも逆らえないものだ。それなのに、家族の個々のメンバーの抱える「闇」は、なんだか、「知的障害」を持つ家族特有のものではない、どの家族にも共通する「闇」のように描かれている。

     ここから、僕らは、自分の家族にもある闇の部分を想いだすかもしれないけれど、厳密にみれば、僕らの持っている闇は、「知的障害を持つ家族」の闇と、同じレベルではないと思う。それを、「同じ」に見せてしまう。この舞台には、そんな危うさがある、と思う。

     例えば、妹の抱える「闇」は、兄が雨の日に外に閉め出されるきっかけになる、「おもちゃをこわしたことを兄のせいにした」ことだったりするんだけど、こんなちっちゃな「闇」なら、僕にもある。でも、僕のちっちゃな「闇」は、「知的障害」に結びつかない。なのに、結論の部分は、僕らに共通するように感じさせる。つまりは、僕らの小さな「闇」を、大きなものに見せる作為を、僕は感じる。観客を、気持ちよく感じさせる作為を、僕は感じる。
  • 満足度★★★★

    千秋楽に飛び込めて本当に良かった
    蓬莱竜太さんの戯曲の、決して逃げないところがすばらしいと思います。しつこく、最後まで問い詰める、密度の高い4人芝居でした。満足。

  • 満足度★★★★★

    「家族だから」
    いったん舞台が始まると目を奪われ、意識までも吸い込まれていきそうなぐらい。

    台詞と間が、あまりにも巧み。すべの役者がうまい(あたりまえだけど)。
    そして、演出にも無駄がまったくない。

    わずか75分なのに濃厚。

    ネタバレBOX

    温泉旅館の一室が舞台。
    定年を控える夫婦と成人した男女2人子どもの、1組の家族が訪れる。

    長男は、子どもの頃、高熱のために脳にハンディを背負ってしまっている。長女は結婚を控えている。
    家族旅行には慣れておらず、子ども2人も成人となっているので、どことなく収まりが悪くぎこちない。
    長女は仕事だと言い、携帯を手放さない。
    父親はせっかくの温泉なんだからと、みんなで楽しく過ごしたい。

    そんな中、長女が結婚しないと言い出す。
    そこから家族の姿が徐々に露わになっていく。胸にある言葉が、幻のような土砂降りの音の中で吐き出されていく。

    当日もらった二つ折りパンフには、家族の記念写真の上に、大きく「罪」と書いてある文字が、牢獄の鉄格子のように重ねてあるが、この舞台の内容を的確に表している。
    舞台を見終わった後にじっくり見ると、家族の笑顔と罪の文字が重さを増す。

    長男がハンディを背負ってしまったこと、そして彼を支えてきたこと、さらにこれからの支えていかなければならないことが、それぞれの「重荷」になっているのだが、彼らは「幸せな家族」なので、口に出すことができなかった。

    慣れない温泉旅行という場所で、日常から気分が解き放たれたことにより、ホンネが顔を覗かせるのだ。
    家族の胸の中で一杯一杯になっている気持ちが、娘の一言で、堤防が決壊するように溢れ出してくる。

    長男の感情の起伏の激しさや過剰な反応、逆に周囲の様子を感じない鼻歌や振る舞いが、家族の気持ちに強くぶつかっていく様がなんともキツイ。

    長男のハンディは、母親にあるのだと、本当は思っている父。しかし、母親のせいではないと口では言う。
    母親は、自分のせいではないと思っていてもそれを長い時間をかけて乗り越えなくてはならなかった。しかし、本音では父親にもその責任はあると思っている。というより、そう思うことで、自分が乗り越えなければならないモノを軽くしたいという気持ちもあるのだ。
    ところが、父親はそのことにはまったく責任を感じていない。無頓着というより、目をつぶってきたのかもしれない。
    表面的には「いい家族」だったのに、実は心の中では相手に「罪」があると思っていたのだ。

    娘は、自分が嫁いでいくことに不安がある。それは家族のことがあるからだ。両親は、娘が家族に不安をいつも投げかけていたのだと本音を語る。娘は、それがあるから家族が家族でいられたのだと主張する。この台詞はとてもよかった。
    息子は自分のせいで、妹が結婚をあきらめたと思っている。家族は、彼を守ることで「家族」を危ういながらも成立させていた。

    この家族の状況は、誰に原因があるのかが、家族の中で「黒い影」を落とす。
    長男が高熱を出した日は、土砂降りだった。
    それと同じような土砂降りが、温泉旅館を包むときに、家族の本音が語られる。当事者以外にはなぜか聞こえない。

    この家族には、ハンディを抱えた息子がいるという状況があるのだが、どの家族にも同様に、家族だからこそのドロドロした感情や、家族だから逆に本音が言えないようなもどかしさもあるだろう。「家族だから」ですべて言い尽くされてしまう、あるいは覆い隠されてしまう(覆い隠してしまう)ような、曖昧さや広さや深さだ。

    人間が人間同士つながるところには、必ずそうした「陰」が存在するのだけど、それから逃れる方法はある。例えば、会社の人間関係だったら会社を辞めればいい。
    しかし、家族は、距離的に離れたとしても、たとえ死が介在したとしても絶対に逃れられない。それは「家族だから」だ。
    だから、問題が起き、それが深く奥に潜り込んでいくのだ。

    作者の蓬莱さんは、普遍的なそうした「陰」の部分にあえて光を当てて、観客に見せたのだろう。蓬莱さんの「家族」というものに対するネガティヴな想いが強く出ているように感じてしまった。

    それは、一部共感できるが、全面的には共感できない。当然のことながら、家族の数だけ家族の形があり、人の数だけ家族の姿があるのだから。

    もちろん、観客の誰にでも、「家族」という言葉によって覆い隠してきたような、思い当たるフシはあるだろう。
    見終わってみると、その見たくもない陰の部分を探っている自分がいる。そういう意味ではキツイ舞台だったと思う。

    ただ、ちょっと意地悪く言うと、単にマリッジブルーの娘の言葉に、家族を守ろうという意識が強い父親が、強く反応してしまったという図式の物語ともとれるのだが。

    ハンディのある長男が、長女の結婚断念の言葉に反応して、「働きたい」と言うのだが、両親はそれを認めたくない。彼を庇いたいというよりは、両親のエゴが露呈したのかもしれない。労働によって得られる自尊心や愛のようなものがあるはずなのに。それをこの両親に伝えたい気持ちもわいてきた。

    物語は、父親の「ごめんなさい」が「ありがとう」に変わるところから、ちょっとした兆しが見えてくる。

    そして、象徴的な「黒い城」というパズル。
    「黒が多いから難しい」そして「そこが面白い」という台詞が重なり、家族4人がパズルを囲んでそれぞれがピースを握り、作っていく様子で舞台は終わる。
    「黒」(陰)の部分があるから家族は難しいけど、面白いというベタな比喩ととらえたが、吐き出した後は、すっきりしたという状態と、この家族のこれからがそこに込められていて、後味は悪くないと思った。

    ときどき出てくる「温泉なのに(温泉に来たのに)」という台詞と、父親が言う「この旅行の目的は、お父さんお疲れ様でした、だ」という台詞には、緊張感のある舞台の中にあって、ふっと笑いが出た。

    次回は、前田さんの作・演出である。これもいまから楽しみになった。

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