五人姉妹 公演情報 五人姉妹」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-3件 / 3件中
  • 観ました
    観ました

  • 満足度★★★★

    準備公演が「黒」であれば、今回は「白」
    ちょうど1年ぐらい前に、こまばアゴラ劇場で、『五人姉妹・準備公演』を観た。目が覚めるような舞台で、これを観たことで「小劇場は面白い」と気づき、今のように舞台にいそいそと出かけるきっかけになったと言ってもいい。
    つまり、私にとって『五人姉妹』は、エポックメイキングな作品だったのだ。
    だから、今回の『五人姉妹』は観るべき舞台であった

    ネタバレBOX

    準備公演が「黒」であれば、今回は「白」であった。
    それは単純に舞台や衣装の基調となる色がそうであったことによる。
    もちろん、なぜその色だったかということには、「色を選択した」理由だけではなく、「選択せざるを得なかった」理由もあるだろう。
    しかし、そうは言っても、受ける印象は、当然大いに異なる。

    光を吸収する黒は、五人姉妹の閉ざされた生活感覚のようなものが現れていたと思う。閉塞感とでも言うべきものだ。
    「黒」中での彼女たち五人姉妹の動きは、身体にまとわりつくそれに抗うようで、力強く感じた。

    対して今回の「白」は、一見華やかさがある。しかし、他の色がないことでの薄さや不安感もある。美しいのに薄いし(フワフワしたような)、不安もあるという姉妹の生活だ。
    「白」の中で彼女たちは、それを振り切るために激しく動く。もっと言えば、白を汚したいという感覚かもしれない。

    で、どちらの色がよかったというよりも、どちらも「アリ」だと思う。
    ずるい回答かもしれないが、両方ともよかったのだからしょうがない。

    また、準備公演は、高速の台詞だけではなく、言葉のもどかしさを相手に伝えようかとするような、激しい動きがストレートに伝わってきて、とても「身体的」(特に個人の)であり、観客の視線はそれに集中できた。
    それに対して今回は、「物(装置・セット)」があることで、準備公演で見せてくれた「(個人個人の)身体性」を破壊していたように感じた。

    もちろん、セットは動かすことができ、必要に応じて動きを見せるための空間が作られるのだが、そのセットを動かすことや、動きそのもので、「間」ができてしまい、(連続的で)身体的な動きを封じ込めてしまったように見えたのだ。
    セットなどが意識せずに目に入ってしまうということもある。

    セットや装置を動かすことを役者が行っているのであるのだから、セットを動かすことも、まるで役者の動きのように(ダンス的に?)見せてくれたのならば、まったくそれは違っていただろう(準備公演では机・椅子などを動かすのは、「軽い」という事実から身体的な動きは止められることはなかった)。
    そうすれば、セットや装置がある意味もさらに明確になり、別の意味での身体性(動き)が浮かび上がったような気がするのだ。

    ただし、今回はセットなどがあることで、それプラス、衣装、照明、映像、音楽が見事に一体となっており、「総合的」な美しさがあった。
    「白」の持つ広がりもそれに加味したと思う。

    そして、今回の目玉でもある、中原昌也氏の音楽と素晴らしい映像に載せて踊る姿は、とても美しく、ここだけでも観たかいがあった。
    中原昌也氏の音楽は、暴力温泉芸者(古いか)のような破壊的なものではなく、抑制されて美しいノイズであったので、そのシーンはずっと観ていたいと思ったほどだ。

    もっと全編に、あるいは断片的に音楽が使用されて、より過激な舞台となるものと勝手に思っていた者としては(後から考えれば、ポイントでうまく使用したと思うのだが)、観ているときには少々物足りない気分もあった。

    激しい動きと高速台詞(そうじゃないところもあるが)は、身体的な芝居であり、言葉のダンスでもあると思えた。
    高速の台詞は、ひょっとしたら言葉の力を(本気では)信じてないのではないだろうか、と思わせる。
    それに付随する「動き」のほうが重要であるかのようだ(言葉と動きの主従関係は不明だか)。

    ミクニヤナイハラプロジェクトは、ダンスから少し離れて芝居的な方向に進もうと足を踏み出したと思うのだが(たぶん)、思った以上にダンスの重力は強く、軸足はダンスに、ココロは芝居にあるとでも言うところかもしれない。

    でも、それは、ダンスと芝居の中間にあるということではなく、どちらかも異端ともなるような位置、別の世界にあると言ってもいいと思う。
    まだ、今回の『五人姉妹』と『青ノ鳥』しか観てない私だが、それはとても好きな世界だし、これからもそこには訪れたいと思うのだ。
  • 満足度★★★★

    融合していく中で浮かび上がってくる
    たくさんの台詞が漣のように舞台を覆う中
    眠りと喪、リズムと休息が舞台全体を包み込んでいく感じ

    シャープなライティングや時間を俯瞰するような映像
    切れのある役者達の動きに息を呑みながら、
    舞台からやわらかくあふれ出る揺らぎのようなものに
    時間を忘れて見入ってしまいました。

    ネタバレBOX

    大叔母の葬儀の朝
    少しずつ喪に染められていく心情の表現、
    或いは5人の姉妹を律するような執事が
    もうやめようとつぶやく姿

    はしゃぐ気持ちや浮き立つ思いの狭間にある
    どこか不安定な心情が
    広がりをもって伝わってきます。

    闇の中で語られること、
    重複する言葉や仕草・・・・

    たわいのない姉妹喧嘩や
    心にひっかかる一言・・・。

    乾いたイメージの連続の中で
    少しずつ喪の色を身に付けていく
    登場人物たち

    具象化や繰り返し、
    さらには映像やライティング、
    舞台装置の位置なども含めて
    極めて細密に描かれた心の動きに
    デザインされた色の抑制はあっても
    色のぶれがまったくない。
    くっきりした表現だからこそ浮かび上がる
    意識の外にあるような揺らぎが
    見事に伝わってきて。

    それは5人の姉妹の物語でありながら
    一人の女性の多面性とも重なって・・・。
    流れ行く時間の中で
    染み入ってくる女性の心情の瑞々しさに
    時間を忘れて見入ってしまいました。





このページのQRコードです。

拡大