満足度★★★★
青年劇場と言えば新作上演が中心という印象だが、ここ数年演出大谷氏を迎えての“日本戯曲発掘”シリーズ(勝手な命名)が上質な舞台を実現している。(正確には不定期の「小劇場企画」が既存戯曲をアトリエで上演するシリーズのよう。)
だが今回は「古典」ではなく劇団レパの再演(1996年初演)、シナリオライター森脇京子の数少ない舞台戯曲の一つという。「時代が近いこと」が逆に時代的な不具合を来すケースがよくあるが、奇しくも作者がパンフで「当時と今とでは、様々な側面で状況が違っている(ので承諾を迷った)」と記している。全くの白紙で開演を待つ。
開演後暫く経ち、従軍慰安婦を扱ったドラマだと判る。「鮮やかな朝」というタイトルの意味に気づいたのは中盤の事(不覚..)。
終始暗めの照明の中に、半ば現実半ばファンタジーな世界が浮かぶ。中央に四隅を上から吊った四角い布が敷かれ、布の上下と、照明変化で場面が変化する。
登場人物は5人の女と1人の男、だが男は女が見る幻影として僅かに登場するのみで、これは女性の物語である。不要な役がなく無駄な場面がなく、最後に皆が愛おしく思える優れた戯曲である。
布の上にしか現れない艶やかな衣裳の娘(アイコ)は亡霊で、彼女と会話を交わす同じ衣裳の娘(ノブコ)は、時代が下るにつれ次第にボロをまとい老女となる。二人には仲間(確かヨシコ)がおり、子を孕んで失踪した。いずれも日本女子の下の名だが、「私たちの国」という台詞で、彼女らが異国人であり、朝鮮から徴集された所謂戦時性奴隷制の犠牲者であると察する。
暗転で二人が消えると、一世代下に当たる女子高生3人が溌剌と登場し、現実の場所としてそこが現われる。中で、向こうに見えるうらぶれた集落にも触れられ、朝鮮人部落か、もしくは「闇売春」をやる場所を仄めかす(そこにノブコが住み、あるいはアイコがそこで死んだ)。3人組の一人・里子が実はヨシコの娘でありその出自を後年知る事となるが、彼女を中心に据えながら、歳月を経て他の二人(孝子・弘美)共々変化を遂げて行く足跡が、最小限の場面と台詞で描出される。この筆捌きにより、1時間余の小品はヘビーな題材に触れたと言える濃密な劇世界を立ち上がらせていた。
満足度★★★★
女性による女性の悲しみを描いた70分の中編。タイトルには「朝鮮」が隠されており、慰安婦問題、日本の在日差別がメインテーマである。小学校の校庭の砂場(4スミを吊り上げることの出来る朝鮮のつぎはぎの白い布=ポシャギ=でできている)だけのシンプルな装置。戦争中に同級生だった朝鮮人の少女二人が、アイコ(五嶋佑菜)は戦後帰国の船が沈んで亡霊になり、ノブコ(蒔田祐子)は日本に残って年を重ねていく。同じ砂場で戦後育った日本人の少女三人。この三人が大人になり、それぞれの女性としての苦しみを吐露するところから、がぜん引き込まれる。
幸せな結婚をしているように見えた孝子(武智香織)は、実は子供はまだかと姑にせっつかれたあげく、せっかく妊娠したと思ったら、病院の誤診で子宮切除され、子供が出来なくなていった。姑が、その病院へ行けと言ったのに、今は姑は医療事故に遭ったのは嫁が悪いとせめる。夫は知らん顔である。友人が「訴訟するんでしょ」といっても、「わざと贅沢な病院に行くから、と周りからどういう目で見られるか」と断る。
里子(岡本有紀)は高校生時代にレイプされたことを隠し、建設業の夫を持ち裕福な暮らしをしている。実は彼女は、朝鮮人の子。先述の二人の朝鮮人少女の同級生が産み落とし、日本人に拾われたのであるが、本人は知らない。
かつてレイプされた時に助けてくれた朝鮮人老婆・ノブコと再会するが、女は「再開発の邪魔だから、立ち退いて朝鮮に帰ってくれ」とひどいことをいう。老女は女の出自を知っていて、近くでずっと見守ってきたのだが、本当のことを言うことはできない。どんな苦しみ・修羅場を生むかわからないのだから。でも亡霊の少女いう「知らないことは罪だよ」と。
戯曲は93年に書かれた。91年に韓国の元慰安婦当事者が初めて名乗り出たことがモチーフにある。戯曲は後半の作りが非常に緊密で、多くの問題を考えさせる。そのシンプルさをストイックな舞台に仕上げて、男の「罪」(不作為の罪も含め)を突きつけられるような思いがした